Midnight Note

明日はどこまで行こうか。どこまで行けるだろうか。

何やっても楽しくない人へ

こんにちはMistirだよ。
タイトル通り、「何やっても楽しくない」ヤツはいねぇか?
俺だよ!


ってのは半分嘘です。「楽しい」ってことへの感度はちょっと低いのかなって感じることはあるけど、ちょっとそれは話が別。
でも一時期、実際何やっても「噛み合わない」時期は確かにあった。多分、「何やっても楽しくない」って感情はこれと非常に近いと思う。「何をやっても噛み合わない」、言い換えれば、「今やってることは自分にとって正しいことなのか」「もっとやるべきことがあるんじゃないか」であるとか。もっと角度を変えてみると「せっかくの休みなのに休めた気がしない」「また仕事だ、憂鬱だ」。この、「何かが違う」という違和感と「それを解決する方法が分からない」という感情。「もしかすると今からTOEIC990点くらい取ったり司法試験合格したら何か変わるのかなぁ、でもそんな時間あったらやりたいことあるんだよな」以下、何もせずループ(あるいはインターネットの世界で一日が消失)。
多分、よくある話じゃないっすか?

で、ネット上で色々記事探してると、脳みその髄まで筋肉でできてんじゃねーの?っていうゴリラ人間どもが「ポジティブになろう」とか「前向きに考えよう」とか「良いことを数えよう」みたいなこと言ってるわけじゃないっすか。僕みたいなひねくれクソヤローはそういうゴリラ見ると「ゴリラは黙ってろ、俺は人間だ」って言いたくなっちゃうんですよね。
俺はゴリラじゃねーから、バナナ貰えたくらいで嬉しくないんだよ、って。
……おっと、言葉が汚くなってしまいました。

まあとにかく、この「何か噛み合わない感じ」に対して色々考えていこうと思います。


早速ですけど、最近音ゲー楽しくて仕方ないんですよ。

 

「何やっても楽しくない人へ」ってタイトルで「音ゲー楽しくて仕方ない」って、「喧嘩売っとんのかワレ」って思われそうですけど、まあちょっとだけ話聞いて下さい。多分、大事な話なので。

 

一応僕はポップンミュージックっていう音ゲーIIDXっていう音ゲーダンス・ダンス・レボリューションっていうフィットネス系音ゲーの3つをメインにやってるんですけど、最もやりこんでるのはポップンミュージックです。

最近


【ポップン】ヒップロック3 EX 4.0速 - YouTube

これとか


【ポップン】ハードpf EX 5.0速 - YouTube

 

これがクリアできるようになりました。

これらの曲をクリアしたいと思うようになってから、約8年かかりました。
もう一度言います。

 

約8年かかりました。

何かやろうと思ったら8年練習しないといけない!とか、そういう単純な話じゃないのでご安心下さい。

いや……不思議なんですよ。
僕、昔本気で音ゲーにハマってて、がっつりやりこんでた時期があったんですね。
ガッツリやればある領域までは簡単に行けます。上に貼った動画は「レベル48(現在の表記)」なんですが、僕は初めて1年もせずレベル46くらいまではクリア出来るようになってました。
でも、そこから先に7年かかったんですよ。そのときは幾らやりこんでも、幾ら「練習」しても無理だった曲が、最近ポロッとできるようになったんです。おかしいなぁ、って。

その「本気でハマってた」時期は家でも(家庭用コントローラーで)やってました。でも、いつの間にかいまいちやらなくなっちゃったんですよね。

何故やらなくなったのか?飽きたのか?もちろんそれもあるんでしょうが、「やる意味がわからなくなっちゃった」んですよね。

例えば、このゲームで最強の曲ってコレなんです。


Pop'n Music - サイレント - 音楽 - EX [Silent] - YouTube

これの1:52〜くらいのところ(通称鮭の産卵)と、2:11〜くらいのところって、どれくらい難しいかっつーと、僕がさっきクリアできるようになったって動画二つ程貼ったじゃないですか。アレをノーミスクリア出来たとしてもまだ全然足りないくらいのレベルなんですよ。

でね、世の中にはこの曲をノーミスでクリアできる人がいるんです。
もうね、アホちゃうかと。

結局、「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」ってなっちゃったんですよ。だって「幾ら上達してもこんなレベルになれるわけないし、なったとしても虚しいだけじゃん、意味無いじゃん」って思っちゃう(←ここ超大事なので覚えておいて下さい)。

 

で、結局その後は惰性でちょくちょくポップンっていうゲームやってたんですけど、正直楽しいって思わなかったです。新しい曲クリアできるようになって嬉しいって思うことは無きにしもあらずでしたが、まあいまいち楽しくなかったですね。
少なくとも、最近ほど楽しいって感じなかったです。

じゃあ何故今こんなに音ゲーが楽しいのか?
って、ぶっちゃけさっぱりわからないんですよ。え?って言うほど楽しい。
多分、就職が決まったとか住むところが決まって肩の荷が下りたとか色々複合的な原因はあるんでしょうが、結局わからない。
全く、わからないんです。

本当にわからない。

だから、この感覚に困惑したんですよね。ああ、ここまで謎なのかって。
謎は謎です。ですが、もし今「なんでお前ポップンミュージックとかいうゲームやってんの?無駄でしょ」って言われても「うっせーよバカ」で終わらせます。「何のためってゲームするためだよ。当たり前じゃん、バカなの?」って。
で、感覚が変わったんですよ。「上があることが嬉しい」んです。これがなんつーか、今までの発想だと全く信じられないくらいの、いわば自分にとってのパラダイム・シフトで。
「手が届かないような存在が存在してくれることが嬉しい」っていう感覚。もはや僕は音ゲーに限ればDBの孫悟空とかストリートファイターリュウですよ。

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こんな状態ですよ。

で、何が大事かって、この感覚が「本当に分からない」んです。

多分、この感覚があらゆるものに適用できるなら、人生幸せすぎて死んじゃうし、「少なくとも今すぐには」他のジャンルには適用できないと思うんです。
もし他のジャンルに適用できるなら、「俺の知らない英語表現がこの世にあることが嬉しい」とか言いながらTOEIC990点取れるだろうし、「俺の知らない言語がこの世にあることが嬉しい」とか言いながら天才プログラマになれるだろうし、「ダヴィンチがこの世にいたことが嬉しい」とか言いながら神イラストレーターになってると思うんですよ。

これを本当にやっちまいやがったのが、過去の記事でも触れた所ジョージさんだと思うんです。


所ジョージの金言集 2014 - てれびのスキマ

http://littleboy.hatenablog.com/entry/2014/12/22/120615

一個一個に失敗があるから、そこが面白い。行き過ぎ感が面白いんだよね。


有吉: 困るのよ、ところさんに憧れる若手芸人がいる。デビュー当時からこの感じ目指すやつがいるのよ。
所: だいぶ間違ってるね。この形は目指すもんじゃない

音ゲーが楽しい」っていう感覚が分かった今だから分かるんですけど、確かに目指せるわけがない。んなもん、目指せるわけがないんです。
だって、なんで楽しいのか分からないんだもん。さっぱり分からない。楽しもうとなんてしてないのに。


「何かしなきゃ」と思ってやるとさ、何も楽しくなくなりますよね。
いや、僕の場合本当にそうで。「高レベルの曲をクリアしたい」だから「練習のためにこの曲をプレイしよう」って、クッソつまんねぇんですよ。
「京大に入りたい」だから「勉強しよう」ツライんですよ、これ。
「Aしたい」だから「Bする」だと、BはAのおまけじゃないですか。おまけが楽しいわけないんです。
「Aしたい」だから「Aする」じゃないと。勿論、世の中はここまで単純にいくことのほうが少ないですけどね。

ここで、あまりに大胆過ぎる認識の変換が起こっちゃったんですよ。すっげー大胆な仮説。


「何一つ覚悟せず生きる」ということ - MistiRoom

 

この記事で、「覚悟は目標達成の足枷になる」って言ったんですけど、その先にさらに踏み込んだ過激な仮説。

自己啓発本や色んなところに載っている『目標を明確にしよう』っていう考え方は、僕のような考え方の人々にとっては害悪でしかないんじゃないか」
さらにここまで言っていいのかって思うんですが、あえて言っちゃいましょう。
「目標を明確にした上で成功した人は、『たまたま』そこに楽しさを見つけられただけの話だ」って。

あー、すっきりした。

いや、この理論なら自分がたくさん経験してきた失敗したこと、成功したことの理屈が全て通るんですよ。

義務にしたことは、ことごとく失敗してます。背負ったことは、ことごとく失敗してます。
ある程度楽しくできたことは、目標設定なんてしなくてもさらーっと成功しました。


いや、そりゃもちろん「ポップンミュージックはゲームだから楽しいだけだろ?」とかそういう意見もあると思いますよ?
でも、「上のレベルをクリアしたい」って思いながらやるポップンって、紛れも無く「義務」でした。
さらに言えば大学のレポートとかゼミ発表とか、アレ基本楽しくやってたんで、全然苦労しなかったんです。「義務」でも楽しかったんです。
でも、就職先が決まってからはいまいち楽しくなかった。だって就職先が、大学でやってることと全く関係ない専門職でしたから。なんていうか、もう既に頭が専門職の方向に切り替わりつつある。


僕は一応たまーに絵も描いてるんですけど、今なら以下の記事に感じてた違和感の正体が分かります。


お前らのどうやって絵のモチベーション維持してるの? 【 萌えイラストを描きたい!! 】


俺、多分絵を描くことの楽しみをほとんど認識してなかったな、と。今ポップンに感じてる楽しみの10%も絶対に感じてない。これって結構大事なことで、逆に言えば10倍以上楽しめる趣味があるのに、本気で絵が続けられるわけがない。


で、ここまでグダグダ語ってきたことで何が大事かって、もう一度言いますけど、何が楽しいのか、何故楽しいのか「さっぱり分からない」ことにあるんですよ。

いや、本当にこれが大事なんです。

なんでここまで強調するかって、世の中には「楽しめ!」が多すぎるんです!
某アニメ風に言えば「お前の勝手な楽しみを押し付けるな!」です。ああ、そう言えば……僕はパチンコは一切やらないんですけど、マルハン

「WeNeedたのしい」
ってキャッチコピーってちょっとドン引きするくらい上手いキャッチコピーだよなって昔から思ってたんです。


マルハンは人をバカにしているのでしょうか?何が”We Need たのしい”だ... - Yahoo!知恵袋

こんな知恵袋もありますが、まあ確かに「何がだよ!」って言いたくなるキャッチコピーではありますよね。

そう、「何がだよ!」なんですよ。
我々は、僕は「楽しい」に飢えている。「面白い」に飢えている。それさえあれば生きられるような、楽しさに、面白さに飢えまくっている。

だいたいのものが気楽に手に入る世の中、どこにでも遊園地はあって、遊び場もあって……でも僕だけの「楽しい」は見つからない。
そこでパチンコ業界が
「WeNeed楽しい」
って、何の皮肉だよ、上手いこと言うなあって思っちゃいます。

いくらNeedしても、得られないんですよ。
リリー・フランキーさんも言ってたけどさ、飲み会で「楽しんでる?」って言われると絶対楽しくなくなっちゃう。理屈で楽しさを捉えようとした瞬間、そいつは消えちまう。

自分固有の楽しさ。
僕らはそれをNeedしている。

でも世の中は「押し付け」てくるんだよ!「こうしたら、楽しめる」。いやいや、違うって。僕は8年かかったんだよ!

……そう、8年かかったんです。

砂漠で飢えてる人間に「人生で必要なものは水だよ」と言いながら美味しそうに水を飲む動画を見せるように、「楽しみを押し付けるゴリラ」たちは僕らに楽しみを押し付けてきます。お前らみたいに楽しくなれねーよ!

僕がここで「ゴリラ」と言いながらイメージしてるのは、いわゆる「カリスマ経営者」と呼ばれるような人たちです。ポジティブ思考だけでどうにかなっちゃったような人。要は、「貴方は色々言うが、結局のところ経営するのが楽しかったんでしょう?」って言いたくなっちゃうような人、いません?

……。
グダグダ言いましたが、「楽しみを見つけるために」僕らはどうすればいいのでしょうか。「論理的に見つけようとした時点でそれは本当の楽しみと違う」という原則からいけば、「そんなものは無い」っていう解答になるでしょう。
得ようとすれば逃れてしまう……まさに「青い鳥」ですね。

でも、僕は一つのキーワードがあると思っています。
待つこと」です。
哲学者であり大阪大学総長である鷲田清一さんが、このテーマに関して一冊の本を書いています。


現代人が失いつつある「待つ」の効用──鷲田 清一氏に聞く - WISDOM

『「待つ」ということ』は昔読んだんですが、なかなか難しい本でした。だけど、妙に「美しい本だなぁ」って思ったのが印象に残ってます。

人間の営みは「待つ」が根っこにあり、農耕や牧畜は自然と生命という、意のままにならないもの、どうしようもないもの、待つことしかできないものによって 成果が決まります。そういうものへの感受性をなくしてはいけない、という、自戒の意味も込めて書いたのが『「待つ」ということ』でした。

現代は本当に待たなくてもいい。
何も待つ必要がない。

でも、この満たされない何かは何だ?と考えたとき、「待てなくなっている」自分に気づく。
いつもいつも「それじゃ遅いんだよ!」と叫んでしまう、自分。せっかちな自分。
でも、そんな心じゃ何も見つけられない。

言っちゃアレだけど、たかがゲームの楽しさ気付くだけで8年かかったわけだ。正直、わけがわからない。

村上龍は「飢え」の大切さに注目した。もっと軽く言えば「ハングリー精神」だけど、確かに僕らは飢え続けなければならない。飢えながら、それでも、焦ってはいけない。
待たねばならない。

……そういや、僕は他人に「人生楽しそうだ」って言われること多いけど、多分それは違う。「俺は必死で楽しさを欲してるだけなんだ!」と。楽しいかどうかは、あまり関係ない。

 

ちなみにこの「楽しさを見つける」って観点からいくと、色々なものが見えてくる。

【ゆっくり実況】神縛りで神様目指す1【ゼルダの伝説時のオカリナ】 ‐ ニコニコ動画:GINZA

 
僕はこの動画が大好きで今でもたまに見返すんだけど、本当に「何これ?」っていうゲームプレイなんですよ。30個縛ってるんですよ。気が狂いますよ。
なんでこれ気が狂わず出来るの?僕の数億倍の精神力があるの?って思ってましたけど……今なら分かる。
ああ、楽しかったのか、って。

例えばですけど、ポップンってゲームやったことない人に


【ポップン】ヒップロック3 EX 4.0速 - YouTube

 「努力してこの曲クリアしてね☆」
って言っても、「死ね!」としか言われないでしょう。

じゃあなんでこんな曲クリアできるようになるかって楽しいからでしかないわけじゃないですか。

もちろん、その上のレベル、例えば全国大会(音ゲーには全国大会があります)で上位取るような人は、多分「楽しい」以上の何かしらの感情に突き動かされてるわけでしょうが、やっぱり「『勝つ』ことの楽しさ」とかそういったところに収束するんじゃないかと。というか、一切楽しくも面白くも感じないことで全国大会出られるとはとても思えません。

こう言うと司法試験合格した人とかに「俺は全然司法試験の勉強楽しくなかったよ?」って言われるかもしれないですが、それは相対的な問題で、多分司法試験合格できるレベルで「勉強ができた」人も、延々と音楽理論の勉強させられたら2日で投げ出すかもしれないわけじゃないですか。

でも。
その「司法試験合格した」人が10年後に音楽にハマって、音楽理論の勉強がするするできるようになるかもしれないわけで。

焦ってはいけない。だから、結局流れを見るしか無い。

そしておそらく……本当に、おそらく。これは仮説でしか無いけど。

楽しむことは、技術だ


習得に恐ろしく時間がかかり、恐ろしく運に左右される技術だ。

だけど、一度この技術を習得し、適用する方法が分かれば、あとは幸せでいられる。

大きな技術であるが故に、習得難易度は非常に高く、しかも習得のための方法論は全く定まっていない。

ただひとつ方法論があるとしたら……それは、「待つこと」だけなんじゃないかと。探しながら、それでも、悠然と待つ。泰然自若。


結局大事なのってここにあるのかもしれません。「待つこと」は言い換えるとこうなります。

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結論:ジョジョは偉大。

音ゲーやってこよう。
ではまた。