こんにちは、Mistirです。
ご返信第二弾、お待たせしました。……誰も待ってない?
まあいいや!
それではさっそく始めます!
なな氏
コメントありがとうございます!
「現実とのズレ」ですね。この辺りのガバガバ感が気持ち悪さの一因ともなっています。
あい
拝読させていただきました。
なるほど〜、と思い、楽しかったです。
ただ、私は少し違った印象を受けていました。
「ブレンディの商品に使われた牛乳は幸せだ!」
…そういうことを伝えたいのかなと、最初に見たときに理解しました。「いちごはいちご」という歌がありますよね。歌詞のリンクを貼ります。http://www.kashizo.com/data/045etc/002_Children/121.html
こんな印象を持ちました。
よく牧場に遊びに行くからかな。牛の気持ちを主に考えさせられました。
細かな部分ではやはり違和感と、なんだこれ、っていう気持ち悪さがあったのですが、それよりも、最後にブレンディがで出てきたところで、あーそういうことね。ジョークね。と頭で理解していました。
なので、この文章や他の方のコメントから、あーそういう見方もあるのかーと分かると、はっきりと気持ち悪くなりますね笑
単なる擬人化と捉えてはいけないような世界なのかもしれませんね。
ありがとうございました。
ご感想ありがとうございます!
なるほど、童謡的な観点ですか!面白いです。
……ああ、その観点で牧歌的に観れないのがツライんですよね。とてもツライ……うん、現世が悪い。
アラフィフ
CMもこちらのブログもすごい反響ですね。コメントも8割方読ませて頂きましたが、後半はさすがに力尽きました。初めて観た時、言いようのない不快感を覚えました。巨乳女子を演じたのが渡辺直美だったら、笑ってお終いにできたのになぁ、と残念に思いました。いずれにしろ、ブレンディ、いやAGFの商品はもう買わないと思います。AGFのおじさんたちの顔がちらついて気持ち悪いです。
ご感想ありがとうございます。
もーびっくりした。大反響。オラこういう記事ばっか書いてるわけじゃないぞ……
僕も目は通してますが、力尽き気味ですw
渡辺直美だったら確かに、最初っから全力の「ネタ」ってわかりますもんね。「生々しさ」が薄れますね。
僕はブレンディめっちゃ買ってますよ。それはそれこれはこれ理論です。まぁニヤニヤしながらごくわずかに申し訳なく思って買ってますがw
通りすがりのオジサン
久しぶりに面白い出来事でした。
色々な意味で奥の深い作品?で、良く世の中に出てきたなぁと感心してます
これはCMとしてじゃないと価値が半減するので、OKしたAGFの方は、Good jobですね!
sense of humorが、ないと楽しめないので、真面目な方には、何が楽しいんだ!と怒られますけどf(^_^;
ご感想ありがとうございます!
Sense of humor yeah! そういう問題なんでしょうか……ユーモアに「しちゃってるから」問題とも言えるんすよねぇ。悲しいことに。
「毒のある笑い」ともまた違いますし。そう、ここが大事なんすよ。毒のある笑いとも違って……「深刻に笑えねぇことに気付いてない」というかなんというか……
あい
少し抽象的だったので、追記です。
「ブレンディの商品に使われた牛乳は幸せだ!」
=ブレンディの商品のために扱われる牛は幸せ
=環境や餌など、アニマルウェルフェアに基づいていますよ。(AGFが牧場と契約しているとか?)(ストレスのない牛のほうが美味しいミルクを出しますし…)みたいなメッセージかと。もちろんCM中では、育てられるところはスパルタで、苦しいものとして描かれていますが、もうブレンディに就職が決まれば大丈夫…的な…
でも、ちゃんと考えるとCM内にはアニマルウェルフェアの考えが見当たらないので、これは的外れな解釈ですね。
牛乳を出してくれる牛の扱い、管理をしっかりしています、というメッセージなのかな、というのが第一印象だったのですが…身近で牧場やってる方が、アニマルウェルフェアに基づいた飼育をしてらっしゃるので、それでかな…
調べてませんので、ほんとに第一印象です笑
「焼肉屋で牛のマスコットが『美味しいよ!』って言ってるのに似ている」って指摘してる方もいましたね。まぁ「意図」を語れば……「選ばれた牛乳だよ!」で終わっちゃうので、僕らは「結果的に表象された意味」を楽しみましょう。そういう意味じゃ「第一印象」も良いものです。
慕情
擬人化で済ますにはあまりにグロテスクでアイロニックな捉え方が出来る映像に思えます。
僕は筆者さんの解釈がとても面白く感じました。過度と言えば過度ですが、実際その解釈には無理が無くポップアートの批評の様で楽しんで読めています。2016卒で就活を終えました。
大企業を崇拝し中小企業を見下す姿勢は大企業病と揶揄されもはや久しくなりましたが、今度は反対に「中小企業は自己を差し出さずに済み幸せになれる、大企業はシステムに組み込まれて人間性を売ることになる」という言わば反大企業病が蔓延しつつあります。これは大企業に行けるが中小企業を目指す人間ではなく、大企業に行けない人間が流行らせているように見えます。明らかに中小企業が人材を獲得するに有利な傾向で、明確なデータがほとんど無く実体が伴わないことも理由の一つです。僕の論が正しければ反大企業病の人間は大企業に認められない嫉妬や羨望を持っている可能性が高いとも言えます。本当に中小企業志望で大企業が眼中にないなら、大企業を批判する理由がありません。
(また大企業と中小企業で平行してアルバイトをした経験から明らかに余裕があるのは大企業でした、体験に基づくサンプルは一件ですが、中小企業に勤める人間が必ず自由というのはかなりレアなケースに思えます。)結局のところ大企業崇拝は拭い切れておらず、親世代、次いで同期世代は認められる組織がどこであるかに敏感です。
本来の意図とは異なるかもしれませんが、明らかに異なる意図、この場合筆者さんのですね、それで解釈が可能です。むしろ世代が近い我々は筆者さんの解釈が実感に近いものであり我々にとって単なる擬人化とするにはあまりに風刺的です。(長くなりましたが本当に面白かったので…また拝見致します、どうぞ筆を折られませんよう…。)
ご感想ありがとうございます!
うおおありがたいお言葉、こんな記事ばかりじゃないどころかこういう記事はさすがに少ないですが書き続けますよw
就活生だったら刺さりますよねぇ、これ。……ところで……僕、中小企業に就職したのですが……うん、それは別の話ですねw 別の話ですが、あまりにも自分の選択が自分の選択なんで上手く言えないっすw
過去記事、ブロマガ時代の”Mistiroom”で就活について語ったものもあるので、お読み頂ければと思います。また改めて書くつもりです。
今後ともよろしくお願いしますね。
おいどn
わかりやすい解説ありがとうございました。
結局、作者はこの世界を肯定してる大人を皮肉って
るのかなあと思いました。
ご感想ありがとうございます!
そう……ですね。裏の意図として、本当にそうかもしれません。「俺はこういうつもりで作ったよ」って公に言ってるのは全く信用出来ないですしね、特にこういうの作るクリエイターの場合。
にゆ
企業側の言いたいことは「うちの使っている牛乳は牛達やその周りの努力によって最高の品質のものになっている」っていうことなのでしょう。
ただ、作品として多面的にとらえられすぎるようになったせいで、もともとの言いたいことに焦点が合わなくなっている。牛たちを擬人化して牛というものに人間らしさを加えた物語としての側面、現代社会への風刺の側面、自社製品がそれだけ厳選された素材を使っているという側面、前者二つが強烈過ぎて、一番大事なものが逆効果にすらなっている、ということですね。
コメントありがとうございます!
おお、非常に鋭いご指摘!あまりにも多面的になってしまったがために、最も主張したいところが薄れている……なるほど。このCMに関わらずあらゆる作品で生じている現象ですが、このCMは顕著だった、と。
興味深い話です。またそういった路線での物語分析をしてみたいものですね。
とても面白く読ませて頂きました。すでに指摘されている方もいらっしゃるかとおもいますが、私がこのCMから受けた印象は、現在の若者の置かれている現状を大げさでなく、割合ストレートに捉えたショートフィルムになっているなというものでした。
食肉と宣告される若者が、貧困から抜け出せず、低賃金の労働条件で就職せざるを得ない若者に見えました。努力だけではどうにもならない宿命を現在の若者たちは、社会的に背負わされているなと思う事がよくあります。
そして、成績の悪い者がそのような境遇に陥るのは自業自得であるかのような弱者切り捨ての感覚。
気味の悪いのはそれを良しとして、共感を得られるだろうと考えた製作サイドの感覚という意見に同感です。
そして、同時にそれを良しとするような感覚は日本に広く蔓延しているようにも感じます。
マーケティングにたけたCM業界で製作されたからには、それなりの裏付けもあったのでは?と勘ぐってしまったりもするのです。
いずれにせよ、そういった制作者の意図とは別に、今回の騒動も含めたこのCMは、現在の日本の抱えている”闇”をいろいろと浮き彫りにしているな、と感じました。
ご感想ありがとうございます!
そうそう、わりとストレート、生々しいんですよねwひどい……
僕らは「肉」呼ばわりですもんね。言い返したくもなります。
というか全体的に同意です。批評の文脈として「その通り!」とは言えないかもしれませんが、僕の感覚としては全面的に同意したいですw
……はぁ……読めば読むほど気が滅入るご感想です……
けやき
はじめまして、Twitterから参りました。初めてコメントします。
このCMを最初見たとき「ヤバいな」と思いました。確かに女の子たちは見栄えの動物園、そして性的機能としての乳として扱われていますね。まるで「私は他人に指し示された道を歩むのが正解なのだ」と。しかし、それにしては進路決定を自己に任せているあたり管理社会の描写とは多少矛盾する気がしますね。
そこに作った人のどんな意図があるかと考えれば、「何も考えてない」のでは?なんだかそう思います。主様もお書きになられていた、製作者はただ擬人化として描写しただけなのかもしれません。製作者の明確な声がない限り、我々には憶測でしかないですが、主様の書かれたとおり、管理社会においての牛(高校生)と校長先生(管理者)は常に権力関係が牛の無意識下に存在し、そして牛は常に無知であることが重要です。そうしなければ「管理されている」苦しさから解き放たれようとする人間が多数表れてしまうからです。(この場ではおそらく闘牛場の彼が、唯一自己の意思をひけらかし、一番管理社会から遠い人間(牛)といえるでしょうが、彼は「不良」として描写されていますね。ディストピアで管理されることを望まない反社会因子のようですね。)
このCMを見た人間でも「これはヤバい」と思った主様はじめこのコメントの皆様のようにこのCMを危機とさえ感じない人間がいる限りは問題定義が可能ですが、無知になればこういうものでも案外目をかいくぐって出てきてしまうわけで。
オーウェルもさんざっぱら『1984年』で「無知は力である」と述べてたことが私をこの考えに至らせた結果なのですが、結局何も知らないからこそできる芸当なのでは?とさえ考えてしまいます。
だからこそ、分かる人が主様のように問題を可視化して周囲に広めることが重要なのだと思います。管理社会やこの性別役割問題等に限らずですが。
長々と述べましたが、これこそおそらく深読みの空回りなので、ただの大学生の戯言だと思って読み流していただければ幸いです。このような記事をお書きになられたことに感謝いたします。ありがとうございました。
ご感想ありがとうございます!
「進路決定を自己に任せている」……ようには見えなかったですねぇ。希望が叶うこともあるけれども、叶わないことがあって、究極的には「死」。まぁオーウェルレベルの世界を想像すると「叶いうる」だけで全然マシなんでしょうけど。
反社会因子は殺される、総解釈してもやっぱディストピア的ですねぇ。「無知は力である」……価値のある言葉ですね、未だに古くならない。
「深読みの空回り」なら僕が一番やってるので、みんなでやりましょうw
こちらこそお読み頂きありがとうございます!
mo
ただの「牛の擬人化」なので否定する要素は全くないように思えるんですけど、やっぱり鼻輪を付けた程度では「擬人化」と割り切れる人が少ないのかなという感じです。
他の映像ではコーヒー豆の被り物をした男性も出てきますが、あれくらいしないと伝わらないんですかね。この作品は人間社会の風刺でもなんでもなく。
牛そのままでやってしまうと「なにがどう特別か」「この牛は何故この進路に選ばれたのか」が伝わりにくくなるので、そこを明瞭にするため擬人化という手段を使っただけなのだと思います。
あくまでもこの生徒たちは「牛」であるので、怒るなら牛への扱いではないでしょうか。
ただ、これは選別と出荷の映像でしかないので感動できるかと言われれば首を傾げますし、擬人化させたまま商品の映像流してしまったので全く美味しそうだと思えないあたりCMとして失敗している気はします。
ご感想ありがとうございます!
そう……ですね。このCMに受ける感覚の差は、僕の記事だけでなく僕の記事へのご感想も見るとなおさらよく分かるかもしれませんね。「管理社会的で」、かつそれゆえに「不快」と感じている人は、徹底的にそう感じているようなので。僕も含め……
牛への扱い、つまりアニマルライツ的な観点あるいは畜産業的な観点から批判してらっしゃる方もたくさんいますね。実は、僕が「語りにくい」と感じている方向性です。いつかは語ることになるでしょうが……
おこめ
ご感想ありがとうございます!
すぐ一つ上の方のコメントと比較すると分かりやすいですねぇw なんというか、僕はこれほど「認識に差異が生まれる」というその事実が興味深いです。そう、本当に「差」が生まれている。
正直、最初僕は「この世界を地獄として描いてない、そんなアホな!?」って思ってたんです。ただ、僕の記事へ寄せられたご感想を読んでいると……ああ……あり得るのかって納得しちゃいましたw
重ねちゃいますよ。ええ。少なくとも僕も、重ねちゃいます……
最後まで読みました。
一言、ギュウギュウ詰めの満員電車に揺られる労働者たちを、ドナドナの世界観にたとえる評言って、ムカシからありましたよ。
ありがとうございます!
「昔」と「今」じゃ同じ皮肉りでも意味が違うんですよね。昔はなんやかんやで「メリット」があったわけで。
僕の他の記事もお読み頂けるとうれしいです。「追いかけられてる感」っていうテーマに関してよく語ってますので。
りゃん
たまたま参りました。
みなさまのコメントも含め、いろいろと読ませていただきましたが、いろいろと考えるほど、みなさまブレンディという名前を決して忘れなくなったのではないでしょうか。
CMを見た人の多くに同じ効果があったとおもいます。CMの目的が商品名の告知と記銘であるならば、目的を果たしたといえる、良いCMであったとおもいます。
ではこのCMで売上が伸びたのか?逆に減ったのか。これは実際どうだったのでしょうか。そこを知りたいですね。
ご感想ありがとうございます!
ホントですよwwwwwもうwwwww
僕なんて一生ブレンディ忘れないですよwwwwwこんなのwwww
本当に売上に関しては知りたいですねw
アオン
色々見た感じ
叩きたい人が叩きたいために叩く理由をせっせと作ってる感じですね
まぁ最近の炎上って基本的にこればっかりですけどね
これはこうなんだって勝手に妄想で創りだしたものを勝手に関連付けて
自分で怒る理由作って勝手に怒りだして
そしてその怒ってる人の理論を炎上した後の人たちは自分で考えるのもやめて
その妄想で創りだされた怒る理由を「怒るべき理由」なんだと妄信して一緒に怒り出すこういう炎上見るたびに
人類にネットは早かったんだろうなって思います
コメントありがとうございます!
なるほど、鋭いご指摘ですが、もう少し踏み込んでみてください。
まだ足りないです。というのも、「最近の炎上」とひとくくりにするのは不可能だと僕は考えているためです。
本当に今回のCMは「あとづけ」でしょうか?
僕はこの「炎上」というテーマに関心があるので以前も記事にしています。よろしければどうぞ
魚介類
とっても面白かったです。
どなたか言ってたかもしれませんが、最後にほっとさせることなく、終わってしまったのも問題だったのかな、と思います。最後まで牛らしさを表現しなかったから、生徒と自分たちを混同して考えやすかったというか。
例えば最後にでも実際の牛の出荷している場面に切り替えて「これは牛の出荷の擬人化表現なんですよ」と。
前半の秀逸な説明パートがこれを助長しているとも思いました。最後まで牛らしさと言えば出荷先と鼻輪だけでしたし。
まあもちろんそこが映像作品としてとても面白いところだったんですけど、これ、CMなんですよねぇ……これ反感買うかもと思わなかったのか、面白いからゴーって思っちゃったのか……
わーいありがとうございます!
そう、「牛の擬人化」っていうには人間寄り過ぎる、その上で人間のイヤな部分だけめっちゃ見えてるんですよね。最後に牛に切り替える、それでも気持ち悪くはあったでしょうが、一貫性は生まれてた気がします。
そうですね、前半が秀逸だったのがある意味ギャップを際立たせている。
他の方のコメントを読んでいても思いますが、よくも悪くも「反感買うと思わなかった」のかもしれませんね。「何が問題なのかさっぱりわからない」方も結構いらっしゃるようで。もちろん、それ自体は全く悪いことじゃないんですがね。着眼点が違うだけで。
cfm
CMの解釈は色々あるだろうけど
時系列的に炎上の火種となったのはCMの内容よりも
外国人の目に留まって批判されたことでしょ最近流行の「世界が驚く日本」「ニッポン大好き外国人」系の番組を好む層には耐え難い屈辱をこのCMは生み出した
だから炎上した、と捉えてみては?
コメントありがとうございます!
……??ちょっと論理に飛躍があるような……うーん。
その仮説は無理がある気がします。というのも、「海外にこんなものがばら撒かれた!日本の恥だ!」的な感想は見かけなかったので。まぁ僕の意見ですが。
余談ですが、「外国人は日本人と比較にならないくらい乳製品文化があるんだから、あんなCMそりゃあかんわ」っていう意見でした。なるほど、と思いましたね。
ずう老人
なぜこのCMが、感動作として製作されたのかという点について。
牛を擬人化したのは「歪んだ否定されるべき世界」アンチ・ユートピアの比喩として描くためでは、なかったからだ、と考えます。
この世界に日常的にある「素朴な」現実を描いている。
しかし、その視点は、ヒトの若者代表でも、ウシ代表でもなかったことでしょう。
それは、日々家畜に向き合って生活している、畜産業者代表の視点だったのではないでしょうか?このCMに批判的な意見のほとんどは、若者や女性や、あるいはウシをも、単なるモノ・商品とみなしている。差別的だ。だから嫌悪感を感じる…という趣旨だったように見受けられます。
けれども、実際に畜産業を営む方々は、扱っている家畜を、単なるモノ・商品として見てはいない、と私は感じています。
それどころか、家畜たちを、大変深く愛して接していることと思います。
そもそも愛情無しでは、畜産業という過酷な労働に従事できないでしょう。モノとして見るどころか、家畜たちをまるで自分の子供のように育てているのではないでしょうか?
無事に生まれ、細い脚で立ち上がれば喜び、病気になれば寝ずに看病をし、ひとたび自然災害に遭えば、自分の命とも天秤にかける…そんな愛情を込めて飼育していることでしょう。
愛情を込めて苦労して育てる。
もしかしたら、このCMのように一頭一頭に名前を付けているかもしれません。
しかし時期が来れば、家畜たちには商品として序列をつけなければならず、名前はなくなり番号が振られ、ランク分けされ、出荷という別れがおとずれる。
そのような、いくばくかの悲しみを抱えながらの矛盾した気持ちを乗り越え、なおかつ愛情と誇りを持って仕事をしている畜産業者代表の視点。
商品の出荷という別離の場面を、晴れ晴れとした卒業式に喩えることによって、番号で呼ばれる一頭一頭にも成長のドラマがあったことを描く。
様々な形で大半は死を迎え、結局はヒトに消費されていく家畜たち。
そんな家畜たちにエールを送る。
ブレンディはそのようにして生産されている。そんな意図だったのではないでしょうか?
だからこそ、食肉となる進路を与えられた少年には、国産和牛としての栄誉などではなく、思いっきりの号泣をさせたのでしょう。
自分たちも、心の中では、一緒に泣いている…と。
こう考えると、悪の象徴のように非難されている校長のセリフも、畜産農家の老人の、心のこもったひとことと解されるのではないでしょうか?
このCMでは、登場する演者の方々が素晴らしい仕事をしたために、擬人化が非常に良く…というよりもむしろ成功し過ぎ、「ヒトの高校生」という視点が強調されています。
「ヒトの高校生」への感情移入。その視点が一人歩きしてしまったために、様々なネガティブな感想や、社会風刺CMなのではないか、という見方につながったのでしょう。
このCMを、感動作と感じるか、社会風刺と感じるか。
CM製作の企画や決定のいろいろな場面に於いて、消費されていくウシたちへの愛があったか無かったか、ここが分かれ目になったのではないでしょうか?
そもそも自社商品を愛していない企業は無いでしょう。
AGFも、農業・畜産業の上部構造としての総合食品会社として、愛情と悲しみを抱え、なおかつ誇りを持って仕事をする畜産業者の視点にシンパシーを感じることが出来たのではないでしょうか?
だからこそ、感動作としてこのCMを製作することができ、この度の批判的な声に戸惑いを感じる…そのような結果になったのではないでしょうか?
少なくとも、もしも私がこの企画をスポンサーに通そうと思えば、この畜産業者の視点を論拠にして、感動作なのだとプレゼンしたことと思います。
コメントありがとうございます!
……うーん、正直申し上げると腑に落ちないです。
畜産業的な視点で言えば、「情は持ってはいけない」とどこかで聞いた、ような。
腑に落ちないっすねぇ……だって、校長先生が「愛を持った視点」だとするならば、「田中ビーフ」は悲しそうに死刑宣告のように言って、ブレンディなら「嬉しそうにエールを送る」、やっぱりおかしいですよ。
あと、「素朴な現実」も同意できません。「畜産業の素朴な現実」だったとしても、です。そもそも闘牛場に送られるんですよ?その時点で……
ということで、僕にはどうも同意できませんでした。が、「僕には」というだけです。お気になさらないでください。
丁寧な分析、ありがとうございました。
はく
いい加減意見も出尽くしたのでしょうし同じものがあると思うので今更感はありますが、
単純に牛の世界をそのままに映しても作品としての面白みや見易さがないので擬人化しただけなのかと思っていました。色々な見方が出来るとは言え、前提がおかしいなと思う意見もありました(ここでの文章ではなくネット上の書き込み等ですが)。
それは、商品や会社などを紹介するCM であるというのが絶対的な前提なのですから(中には全く紹介も何もしていないCMもありますが(笑))。
自分は当たり前のようにそう考えて見ていましたので、
・商品に使う材料を選別する、牛が一生懸命育つ、一生懸命酪農が飼育する→これを生徒(牛)、先生(酪農家)、成長から巣立つ(受験) として擬人化することで見やすく(?)、
また動物を殺すことは悪いことだとかいう人たちを避けたかったのではないかなと感じました(毛皮を取るために飼っていることも悪いみたいにいいますしそういう方々は)。牛の世界だけで見た時に、命を頂戴するとかそういう命をいただいて自分たちが豊かに暮らしているということを感謝しつつそれを行うということは、
昔からしていて当たり前と考えているから、肉牛などどう扱うかみたいなことに関しては深く掘り下げず、この現象を擬人化したならばっていう程度で表現して触れていないだけなのかなと(商品のCMで伝えたいことを伝えるため)。
闘牛は身体の強さと闘争心が必要なので気性が激しい→高校生で気性が激しい=不良的な人間
肉牛は雄、特に厳選和牛はなく、さしが入っているわけではない=特に太っている分けではないので、特長をのせず普通の男子
よい乳牛=乳を出す、メス、体のつくりがよく、乳房が大きいというのは酪農だけで考えると必須なことであるため、擬人化してしまうとそういうことになってしまう(見た目に全く媚びなかったといえば流石に嘘でしょうけど(笑))。
といったように、単純に当てはめただけなのでしょう。しかし、当てはめるという行為から見方を変えた人が単純に擬人化だという当てはめ方をせずに、社会や闇がというような見方をし易かったのだろうと思いました。
女性が走ったりしているシーンは、飼育ということだと思います。
実際の牛であればブラッシングとか餌を食べたりだとか放牧だとかするわけですが、擬人化した状態でブラッシングするわけにもいきませんし、受験として擬人化しているので、高校生活=酪農の飼育期間であり、心技体という見方をすれば放牧=運動で、受験=勉学とかの様に擬人化表現したのかと思いました。あくまでCMという短い時間で表現することもあるので、深く細かく説明できませんし酪農についてや生き物をを食べるとかそういうことに関しては見る側の知識が備わっている前提ですすめないと、映像として短くテンポ良くおさまりませんし、ここはこうですよとかこうじゃないですよ深い意味は無いですよとか一々説明つけられません。
わざわざ作品の解説とかをやるとなんだか、ギャグの説明を強いられてどこが面白みか説明するようで微妙でしょうし。沢山の意見をかいつまんで見てみましたが、
色々な観点や理論から1つの物を分析したり考察したりすることは面白いことだと思いますし、
ただ単純であるものでも色々な見方が出来るのはすごいと思います。
ただ、憶測で騒いだりして悪いみたいな決め付けをいきなりして騒ぎ立てて広まってしまう所は、やはりネットの便利な点であり悪い点なのだろうな。とも思いました。
ご感想ありがとうございます!
……はい、ぐうの音も出ないくらい「その通り」だと思いますw
ただ、少し「捉え方」が違う点がありますね。「憶測」とか、そういったことじゃなくて「どう表象されているか」なんですよ。難しいですが。
テクスト分析ってそういうことなんです。「どう表れているか」が大事で、作品は読者と作者が共同でつくり上げるものなんですね。
だから、僕も分かりやすくするために「作者の意図」という言葉に「近い」言葉を使って語っていますけど、実はどうでもいいんですよね、それは。
「結果的にそうなってしまった」。これが大事なんです。
で、それに対してとやかく言うのが、分かりやすく言った「批評」のお仕事です。
まぁ僕は批評家ではないのでこの辺は適当に流してくださいw
要するに「決めつけ」は確かによくないですが、「憶測」や「印象」も大事な作品の要素ですよ、ってことです。
その上で、僕らみたいに「冷静でありたい」者は、時折冷静さを欠きながら「語って」いきましょう!
本日はここまで。
続きは、またしても保留で。今回は流石にご感想の量が凄まじすぎるので、諦めても怒らないでくださいね、マジで。
お読み頂きありがとうございます。
そして重ね重ね、ご感想ありがとうございました!
もしよろしければ、今後ともよろしくお願いしますね!
選ばれたおっぱいの大きい子をいやらしい意味じゃなく「単に優秀な乳牛の擬人化」とするなら乳牛はおっぱいの大きさで乳の出る量が決まる訳ではないので、そこの所はどう説明するのかな?