アニメは、いつからかオタクの手を離れたーー
「アニオタ」は、もうどこにも居ない。
ども、Mistirです。
最近はアニメがカジュアルな趣味になった。
「リア充オタク」というような言葉も生まれ、何がなんだかよくわからない。
別に昔からオタク(orライトなアニメ好き)であってもリアルが充実している人いただろうし、今更何を、という話かもしれない。
でも、少なくとも筆者が中高生の頃に比べてアニメ趣味は確実に「カジュアル」なものになった気がする。
その境目はやっぱりこのアニメでしょう。
『けいおん』前後で、「アニメ」のイメージは大きく変容したように思う。
もちろんこれは筆者の印象に過ぎないので、あくまでも「時期を捉える」ための目安として考えて欲しい。詳細なアニメの受容の歴史分析は別の人に任せる。
で。
この『けいおん』のアニメは、2009年だ。
今から7年以上前。時代の流れは早い。
その3年前、2006年にアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が放送され、
2007年に『らき☆すた』のアニメが放送された。
中学の頃、友人がファンで、正直ちょっと引いた記憶がある。
今や「魔装学園は神」と言ってはばからないクソアニメ好きの僕であるが、かつては所謂「萌えアニメ」に抵抗があったのは事実だ。
きっとそれは、世間レベルでもそう変わらないものだったと思う。
アニメから少し離れるが、こちらも中学生の頃、PS2版のFateにはまり込む友人にドン引きしていた記憶もある。
今になってはもはや「カジュアルコンテンツ」「知ってて当然」の風格さえ漂わせているが、当時の中学生にとって「Fate」はどういう印象だったかというと、
「誰も知らないようなよくわからないオタクチックなギャルゲー(←この言葉さえ知らないのだが)」
である。
上のリンクにあるように、発売日は2007年。
らき☆すたの放送開始の年と同じである。
しばらく後、友人から同ソフトを借りた僕は、寝る間も惜しんでコンプリートし、人生で背負った厨二病という業を悪化させることになるのだが、それはまた別の話。
……元々潜在的にオタクだった僕にとって「誰も知らないような名作を自分だけが知っている」※的な感覚はとても尊いものだったのだが、もはやFateはそんなレベルの作品ではなくなってしまった。なんとも言えない気持ちだ。
※2007年時点で既に伝説的作品だったと思うのだけど、中学生で知っているとなると相当絞られてくると思ってます。ついでに言えば、ネットがそんなに(現在のTwitterやYouTubeのような文脈では)広がっていない世の中でFateをプレイした中学生は、きっと当時の僕の気持ちを理解してくれると思う。
この「特権意識」に似た感情は、後で重要な意味を持ってくる。心に留めておいて欲しい。
閑話休題。
そろそろ本題に入ろう。
なぜ『涼宮ハルヒの憂鬱』と『らき☆すた』を例として挙げたのかというと、偶然僕の周りにこれらの作品にハマっていた奴らがぽつぽつ現れていたからである。
そして2007年、『らき☆すた』の放送と同じ年にあるアニメが放送される。
そう。
『さよなら絶望先生』。
この作品は、どうも「当時」を物凄く深く表現していたような気がする。
少しだけ、語りたい。
『さよなら絶望先生』OPが語る時代
この記事は「さよなら絶望先生」を知っている人向けに書いている。
少なくとも、作者の久米田康治の作風を知っていないと、この先は読んでいてもきつい気がする。
ってことで、一応『かってに改造』以降の作風は知ってますよーって人のみ読んでください。
思うに。
当時、例えば『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』からアニメを観始めた層は、『さよなら絶望先生』に結構大きな衝撃を受けたのではないか。
冷笑。
徹底的に社会を冷笑するそのスタンス。
多分、2006年ごろに深夜アニメを好きになった層は、ある種の「後ろめたさ」を抱えていたのではないかと考えている。
あの当時、(深夜)アニメは「後ろめたい」趣味だった。
「深夜アニメの存在」自体を知らない人の数が圧倒的に多かったのだ。
今みたいにTwitterもなければ、ニュースサイトもほとんど存在しない。
そんな時代だ。
一方で、「こんな面白いものをみんな知らないんだなぁ」といううっすらとした「特権意識」のような感情は、誰しもが大なり小なり抱えていたように思う。
そう、そんな二つの歪んだ感情の狭間で、アニオタたちは揺れ動いていたのだ。
そんな時代に現れた『さよなら絶望先生』のオープニングは、ある種、時代をあまりにもクリティカルに切り取っていたように思う。
なんだこの歌詞は。
アニメ本編には直接関係ない。
関係ないが、この「冷笑的な」アニメを見る層の心臓を一撃で仕留めるような強烈なオープニングだ。
君がいたら変わる?
「君」の解釈は幾らでもできるだろうけど、「深夜アニメそのもの」と解釈することに不自然はなかったのではないか。
あるいは「アニメのキャラクター」でもいい。
「誰も知らない世界を知ること、それが自分を別の世界へ連れて行ってくれる」。この感覚を、誰が笑えようか。
色々語ろうとすると長くなるので、この程度で抑えておくとして二期である『俗・さよなら絶望先生 』のオープニングについて語ろう。
二期は2008年の1月から3月、一期から1クールしか休みを置いていない。
そんな二期のオープニングは、シリーズでおそらく最大の人気を誇る、この曲だ。
2008年の時代に、この歌詞を「深夜アニメ視聴者」にぶつけたオーケンは天才としか言い様がないと思う。
というかオーケンの昔からの芸風が「2008年に深夜アニメを観ていた層」あるいは『さよなら絶望先生』という作品にクリティカルマッチしたという方が近いか。
とにかく。
僕はこの曲があまりにも「自分のための歌」になりすぎて、耳が擦り切れるほど聞いた。
断言する。
絶対にこの曲を数百回聴いた人はいるはずだ。
暗い部屋で一人。テレビは付けたまま僕は震えている何か始めようと
さて、ここでも『人として軸がぶれている』と同じく「君」が出てくる。
君の価値さえも決めかねて わからなくて
なんていう重い歌詞を書くんだ、この人は。
先程と同じように「君」をアニメそのものと解釈するなら、まさにこの一行が、アニメを好きだった僕らの心そのものだったのかもしれない。
何度も何度も聴いた。
そう。
『空想ルンバ』は。
「僕が思うそのままのことを、歌っていた」。
そして一年と半年が経った。
2009年7月。満を持して、それは始まった。
『懺 さよなら絶望先生』。
そのオープニングこそ、今回最も語りたかった一曲だ。
この曲の評判は、『空想ルンバ』のどストレートな評判に比べて、かなり悪かった気がしている。
ドロドロした「音楽」としてかなり危ういAメロ、Bメロから、急に開放感のあるサビ。にも関わらず、サッパリ意味が分からない「林檎もぎれビーム!」の連呼。
というか、この言葉には元ネタがある。
簡単に言えば、ある宗教団体チックな団体が『「リンゴ送れ、C(カタストロフィ)」というメッセージを受け取った人だけがUFOによって救われる』と主張してたのだけど、それがマスコミに漏れてエライことになりました、って話。
そんな難しいことは考えなくても、「リンゴ送れ、C」という言葉は
「救われて」
「ここではないところに行く」
ための合言葉だと覚えておけば、十分だ。
※ちなみに最初は『林檎もぎれビーム!』ではなくガチで『林檎送れ、C』にするつもりだったそうだが、それを聴いた宇宙友好協会メンバーが「ついにキタああああああ!!!!」ってなるのを防ぐため『林檎もぎれビーム!』にしたそうだ。草。
さて。
それを踏まえてこの曲。
なお、難解だ。
何百回、下手すると何千回聴いたかもしれない。
そうすると、この曲が「僕ら」に対して決着を突き付けてくる曲だってことに気付く。
ぜひ歌詞を熟読してほしい。聴きながら。
導入から強烈な右ストレート。
オタクに直撃。
あなたが言うのか。
散々、「俺らが想うそのままのこと」を歌ってきたアナタが言うのか。
さらにそれはお仕事だって、よりによって「声優さんに」言わせるのか。
二番では「マニュアルではめてるだけかもよ」とも言う。ひどい。
この部分の衝撃は、当時から色んな人が指摘していた部分だ。
ドロドロしたAメロ、Bメロを経て、開放的なサビに入る。
ただ。
この絶望の夜は明けるのだろうか
……開放的なのに、終わり方はすこぶる歯切れが悪い。
ここで、初めて「絶望」というワードが歌詞の中に登場した。
でも、この歯切れの悪さこそこれまで『さよなら絶望先生』のオープニングに心酔してきた僕らの気持ちそのままなんじゃないか。
「でもどこへ行ったとて同じだろうか」。
「この絶望の夜は明けるのだろうか」。
最も強烈なこのクエスチョンに対する……あるいは、これまでの全ての問いに対するアンサーとして、至高のCメロが始まる。
エブリシンガナビーオーライ!
明けぬ夜は無い
それが愛のお仕事そして
「マニュアルなの」
あまりにも鮮烈な、そして残酷な解答。
僕らが疑った「愛のお仕事」を、「マニュアル」を 、受け入れろ、と。
「愛のお仕事であるが故に、絶望」「マニュアル通りだからこそ、絶望」、その認識が誤りであると告げる。
「受け入れろ」。それが、この曲が最後に残したメッセージだ。
そうすれば、夜が明けると。
ラストのサビ。
実は、1番のサビおよび2番のサビと、全く言葉の変化がない。
ただ一点、「迷いがない」という点を除けば。
そして曲は終わる。
さあ行こうぜ、、、
1番、2番の「さあ行こうぜ」と同じでも、違う意味合いに見える。
「受け入れて、進め」
それが唯一の方法ーー。
実は、全く同じメッセージを大槻ケンヂは小説で書いている。
かなり後半に、ここまで書いたメッセージと全く同じ内容を登場人物の一人に語らせている。
気になる人は読んでみてください、面白い小説なので。
そろそろまとめに入ろう。
結局、あの時代は何だったのか
僕が時代のターニングポイントと認識している『けいおん!』の放送は2009年。
『懺 さよなら絶望先生』の放送と同じ年だ(『けいおん!』の方が3ヶ月だけ早い)。
躊躇いなく『けいおん!』のファンを公言している人は、当時たくさんいた。
「アニメ趣味」に対する抵抗が、確実に少し(世間的にも、ファン当事者的にも)薄れていた。
それは「良いこと」でありながら、同時に……
「後ろめたさ」を抱えたアニメファンにとって、少し複雑な気持ちを与えたのではないだろうか。
そして時代にスマートフォンが登場し、SNSの波が世間を巻き込んで巨大化していく。
「アニメ」は世間を侵食する。
時は2016年。
世はまさに大アニメ時代!
……とは言わないが、2007年あたりと比べると、全く話が違うことは言うまでもないだろう。
「オタ臭の薄く」かつクオリティの高いアニメは、かなり広く話題になる。
『君の名は』の名を出すまでもないだろう。
なお、以前記事を書いた『あの花』が放送されたのは2011年だ。
当時、既に「アニメに対する抵抗」のようなものは、世間から相当排除されていたように思う。
時を経て、アニメが世間に受容されるようになったこと。
それは同時に、僕らの後ろめたさが薄くなってきたことと、特権意識が持てなくなったことを意味している。
もはや、月に500円払えば延々とアニメを見られる時代だ。
そういう、時代なのだ。
コソコソ一人でアニメを観て、知り合いとアニメの話をする時代じゃないのだ。
リアルタイムでアニメを観て、twitterでワイワイ「みんなで」実況する時代なのだ。
「昔は良かった」。
そんなことを言うつもりは、まったくない。
ただ。
もう、アレ程のインパクトで……
『人として軸がぶれている』のような曲が。
『空想ルンバ』のような曲が。
『林檎もぎれビーム!』のような曲が。
「アニメのオープニングとして」現れることは、未来永劫ないのだろうな、と思うだけだ。
そう思うと、「あの時代の奇跡」ですらあったように、思うのだ。
そして今。
僕は社会人になって、未だにちまちま、アニメを観ているけど。
まだ「それが愛のお仕事 マニュアル」だと受け入れて、「さあ行こうぜ」と飛び出すような元気はない。
「人として軸がぶれている」まま、時代に取り残されてしまっているような気がする。
蔑称の意図も含まれていた「アニオタ」という言葉は、もはや死んだ。
同時に、そこに内包されていた甘美な後ろめたさと特権意識も、死んだ。
君(アニメ)は、僕をどこにも、連れて行ってくれないのだ。
僕はこれからもアニメを観るだろう。
やることもないからボーッと。
そんな僕の軸は、未だにブレ続けている。
今日はこの三曲を聴きながら、色々と考えて寝よう。
お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事で。