ども、Mistirです。
Twitterから離れられない。
と、いうのは流石に疲れるんでそろそろ離れたい。
……ん?
デジャヴ?
俺三回Twitter辞めてんじゃねーか!!!!!
我ながら凄いな……
で、辞めた後色々あって戻ってくる。
顕著なのがブログ書いた後で、ブログに対するダイレクトなリアルタイムの反応を探れるツールとして、Twitterはあまりに優れてる。
その後はズルズルと……みたいな。
結局のところ、ブログなんて書いてる人間には特に分かり易い傾向だと思うんだけど……
ダイレクトな人の反応ほど、愉しい娯楽はない。
これは、僕が人生で手に入れた最大の「真理」の一つだ。
一方で、それは大分危うい麻薬でもある。
それだけを延々求めてしまうほどに。
実際、「ああ、ヘンにTwitterにはまり込んでるな」って自覚したら、少しTwitterと距離を取るようにしてる。
で、たまに久しぶりにブログ書いたり、なんらかのきっかけでTwitterに戻って……
わーい!!
たーのしー!!!!!
重症である。
「Twitterやめたら時間ができるのに」とか、「その時間で筋トレしたらいいのに」なんて、何の意味もない。
タバコ吸ってる人に「そのカネでもっと有意義なことしたら?」って放言する程度の意味しかない。つまり、ゼロってことだ。
だから、根源的になんでTwitterに戻ってくるのか考えたほうがいいのだろう。
タバコなら、ニコチン。
タバコを辞めるには、意志の力を用いるよりも、ニコチンパッチを使うほうが効果的だ。
Twitterの「ニコチン」は、結局さっき言ったように「反応」あるいは「繋がってる感覚」だろう。
で。
それらを求めてしまう、欲望。
その根源は何かっていうと。
「孤独感」だろう。
……要は、寂しいのだ。
僕も、みんなも。
社会人になってから顕著だ。
ホントに顕著だ。もうちょっと僕をいたわって欲しい。いやマジで。
……まあ、期待はしていない。
それはさておき。
ヒトってみみっちいもので、例えば現代病で「セックスしてるときでもSNS見てる」みたいな例が現れてるらしいんだけど、それは単純な話で……
「見知った一人の目の前の人」よりも、「知らない多数の人」とリンクしてる感覚のほうが、孤独感に対する充足度が高いのかもしれない。少なくとも一部の人にとっては。
クリエイターの中でも結構社会的に成功してる人は「他人からの反応なんて気にしてない」ことがあるけど、その境地はなんというか、もう僕は諦めている。
やはりジョジョは偉大。
僕の場合、少ないときは0だけど、多いとき7割はちやほやされるためにブログを書いてる(記事によるけど)。
話を戻すと、それくらい単純に愉しいなら、別に延々とTwitterやっててもいいと思うんだけど、一方で「しんどく」なるときがある。
それはなんというか、まあ、賢者タイム的なものなのだろう。
孤独感を埋めてくれるはずの「反応」あるいは「繋がってる感覚」は、摂取すればするほど孤独感が強まる不思議な物体だ。
それに気付いたのが、不思議な事に……
このアニメを観ているときだった。
『霊剣山』二期、『霊剣山 叡智への資格』 だ。
このアニメ、一期である『霊剣山 星屑たちの宴』は……
一言で言って、クソアニメだった。
クソアニメとは言え、「面白いクソアニメ」だ。
でも、なんというか……
B級アニメ特有の文脈を熟知していなければ、「苦行」だと表現されてしまうような……
「上級者向けアニメ」だった。
僕は、それでもこのアニメが好きだったから、継続して二期を見ている。
二期7話、このキャプチャを見て欲しい。
投稿されて3日経った……新作アニメが。
再生数、15000。
ランキングに上がってこない……
今期アニメの『小林さん家のメイドラゴン』を見て欲しい。
格が違う。
……だが、それでも。
断言する。
霊剣山二期は。
あまりにも、面白い。
これを聞くと、霊剣山一期のみを観た人は、僕にこう言うだろう。
「重症だ」と。
実際言われたことがある。
でも、違うのだ。
そもそも。
霊剣山一期は、「なんかよくわからんけど天才の主人公がなんかよくわからんけど仙人目指して修行する」という、なんかよくわからんストーリーだった。
なんで修行してるのかよく分からないから、主人公に感情移入しにくい。
展開の雑さを意図的にネタにしている気配さえあった。
ていうか、してた。
だが、霊剣山二期はどうだろう。
一期にあったシュールさはある程度残している。
馬に乗って走ってると思えば、馬から降りて馬を追い越し始める主人公が見られるオープニングなど顕著だ。
だが。
ストーリーが、あまりにも面白くなってる。
というか、昨今のアニメであまり見ない、完全な……
ダークヒーローモノになっている。
ストーリーをざっと説明しよう。
一期でなんだかんだ修行してた主人公(修行以外やってねえ!)
修行の途中段階で、故郷に戻ることになる。
すると、故郷は悪徳宗教に支配されていた。
一話では悪徳宗教の幹部の一人と直接戦うんだけど、この時点で霊剣山一期視聴者は驚いていた。
「え?こんな血みどろアニメだったっけ……」
とりあえず、一話で既に「悪徳宗教から村を奪還する」という大きな目的ができて、すんなりアニメに没入できるようになっている。
二話では一期ゆずりのギャグを織り交ぜながらも、三話で主人公がとんでもない方法を打ち出す。
「悪徳宗教に対抗するために、ニセモノの宗教を作って村を支配する」というとんでもない方法だ。
しかも、そのやり方がかなりえげつない。
具体的にはネタバレになるので言えないのだが、下手すると相手の悪徳宗教よりもタチが悪いことをしている。
観てるとかなり考えさせられる構造になってて、「主人公も敵も正しい」を地で行くストーリーになる。
というか、普通の感覚だと敵の方に感情移入してしまう。でも、冷静に考えると……みたいな。
ホントにヘビーなダークヒーローモノになっていくのだ。
この構造は作品内でしっかり突っ込まれていて、主人公は味方からさえも疑念の目を向けられるようになっていく。
どんどん、主人公は孤立していくのだ。
7話にもなると話はさらに転がり、マフィアの抗争のような様相を呈してくる。
「何が正義なのか」をド直球に問いかけてくるストーリーは本当に面白いし、1期では酒でも飲んで作ってたのかと思われた構成が、びっくりするほど丁寧になっているのがよく分かる。
何より、二期で出てきた新しいキャラが物凄く魅力的に描かれている。
このおっさん。
観て頂くと分かるんだけど、ホントに半端なく好感持てるキャラしてるし、エピソードも一々渋くて、一番人間味がある。
色々あってこのおっさん、本編で重症を負うのだが……
生きてると判明した際のニコ動上でのコメントを御覧いただきたい。
実際僕もおっさんが生きてるかどうかが不安で仕方なくて、生きててホッとした。アニメでこんな気持ちを覚えたのは久しぶりだ……。
……
この記事、何の記事だっけ?
そうだ、「孤独感」の話だ。
気付いたのだ。
「霊剣山二期が面白い」といくら叫んでも。
『小林さん家のメイドラゴン』を観ている1/20程度の人にしか、届かないのだ。
いや、それすらも怪しい。
Twitterでは、多くの人がけものフレンズに頭を溶かされてしまっている。
……なんというか。うまく言えないが。
急に、「孤独の本質」に立ち返った気がしたのだ。
急に、気付いたのだ。
叫んでも。
叫んでも。
届かない。
今期で最高に面白いアニメは、否、アニメ史上でも歴史に残るくらい面白いアニメは、『霊剣山 叡智への資格』なんだよ!!!!
※一期からのギャップで贔屓してることは自覚してます。
届かなくても、叫ぶことは出来る。
届くか届かないかは、運の問題だ。
でも。
基本的に、掠れた声で叫んでも「わーい!」「たーのしー!!!」の声にかき消されてしまうのだ。
……真剣な話、何が言いたいかって言うと。
Twitterっていう場では「大きな流れ」みたいなのが確実にできてて。
そこに対して「尖った思い」みたいなのを叫んだとしても、それこそ「孤独を深める」だけなのかな、って実感してしまったわけなんです。
僕が今「霊剣山二期ホントに面白い。ヤバイ」って幾ら言ったトコロで見る人はそういないだろうし。そもそも二期から観るハードル高いし。
※一期から観てほしくはありますが、「主人公が修行して仙人目指してる天才系キャラ」ってことと、デブが主人公の剣術の弟子ってことと、青い髪の女の子が主人公の武術の師匠兼親友って知ってるだけで二期から観ても全然問題ありません。
なんかそれって、スルーしてはいけないほど「SNS」と「孤独」との関係性を表してるような気がしてて。
まだ上手く言葉に出来てはないんだけど、凄く大きな問題に直面してる気がしているんですよ。
なんというか、Twitterっていうのは、マス(大衆)ですよ、という事実。
マス・コミュニケーションっていうと意味が変わっちゃうけど、むしろその言葉により近いのが、今のTwitterかもしれない。
孤独感を埋めるために、マスに没入しようとして。
孤独感を埋めるために、マスの反応を欲して。
急にマスからの疎外を覚えて、埋めたはずの孤独感をまた覚える。
でも、それでもなお。
僕らは、何度でも孤独を埋めるために、SNSの世界に没入しようとする。
……不思議な話でも、なんでもない。
当然の話だ。
……でもまあ。
今はなんというか、寂しくなると言っても「Twitterをやめよう」とは思ってなくて。
一方、この記事でつらつらと述べてきた「実感」を意識しておくことは、なんだか非常に重要なことのような気がしていて。
そんな複雑な気持ちから、この記事を書きました。
今回の記事は、それだけのお話なのです。
お読み頂き、ありがとうございました。
ではまた次の記事で。
ただひたすら語るだけで、それだけで僕はいい。
その境地に、いつか達することはできるのだろうか。