こんにちは、Mistirです。
まとまらないお話をひとつ。
バイクに乗って色んなトコロを走ってると、だんだん寂しくなったり、不安になってる自分に気付いた。
寂しいのはまあ一人で走ってるから当然なんだけど、それは別にして。
タイトルについての話をしよう。
ヒトは選択肢が増えるほど、不幸になるという研究結果があるらしい。
これは大学の頃心理学の授業で聞いて、結構衝撃を受けた記憶がある。
なかなか、直感に反している。
要約すると、
・選択肢が増えることによって、選択が難しくなる
・選択肢が増えることによって、「選ばなかったもの」の重さが増えていく。
→機会損失の可能性が増す
っていうところ。
バイクの話に戻ると、まさにその通りで……
バイクで走ることは、僕に色んな世界を見せてくれる。
バイクから見る世界は全て、それぞれが全てーー
「可能性」と「選択肢」なのだ。
具体的に言えば。
簡単な話だ。僕は、色んなところを走りながら、「ここに住みたい」「ここで住んだらどうなるんだろう」と、シミュレーションする。
静かなトコロを走ったら、必ずと言っていい。
その中で別格なのが伊豆なんだけど
最近は秩父に引っ越すのもいいなぁ、と思えてきた。
「そうすること」を考えるっていうことは、裏返すと、「そうしない自分」を見つめるってことだ。
「その選択肢を選ばずに」、今埼玉で生きてる自分を見つめることになるってこと。
……「何故、よりによって『今、この選択肢を』選んでしまったのか」。
なまじっか、自分が何でもできるという考え方を持ってると。
いざとなればどこにでも逃げられるという考え方を持ってると。
それは同時に、不幸のトリガーに指を引っ掛けてるってことなんじゃないか。
かといって、選択肢を奪ってくれとは思わないし、自分で選択肢を狭めるつもりもない。これはもしかすると、自分で自分の首を締めているのではないか。
……なんだか。
頭が回らなくなってきた。
ココらへんで話をやめる前に、上の記事から引用しよう。
全ての選択には2つの影響がでます。どちらも悪い影響です。1つは、矛盾していますが、これが開放感ではなく無力感を生むということです。
これが全てなのかもしれない。
バイクの開放感は、全て無力感に直結している。
……だとすると、そういう漫画作品、結構多い気がするなぁ。
バイクに乗るって行為は、途方もなく自由で、途方もなく無力だ。
それでも僕はバイクに乗るんだけどね。
それでも僕は……自由で、ありたいのだ。
多分、そういうこと。
ではまた次の記事で。
お読み頂き、ありがとうございました。