こんにちは、Mistirです。
度々ありますが、また「CMの炎上」が話題になっています。
こちら、牛乳石鹸。
消される可能性もあるので、J-Castニュースの概要を引用しておきます。
6月15日にYouTube上に公開されたWEBムービーは、「父の日」をテーマにした作品だ。約2分43秒の動画で、俳優の新井浩文さんが主人公の男性を演じている。妻と息子と3人で暮らす男性のある一日を描くストーリーだ。
動画の冒頭で描かれるのは、新井さん演じる男性が出社前に家のゴミ出しをする場面。この男性にとって、今日は息子の誕生日。職場での休憩中には、妻から頼まれた息子のためのケーキとプレゼントを買いに行く。
ここで、男性の心情を表したかのように、
「あの頃の親父とは、かけ離れた自分がいる。家族思いの優しいパパ、時代なのかもしれない。でも、それって正しいのか」
とのナレーションが読み上げられる。
その後、プレゼントとケーキを手にした男性は、仕事でミスをした後輩を飲みに連れて行く。居酒屋では、携帯に妻からとみられる着信が入るが、男性はこれを無視する。
飲み会を終えて帰宅した男性に対し、妻は「何で飲んで帰ってくるかな」と呆れたように一言。これに男性は「風呂入ってくる」と返し、そのまま風呂場へ。入浴シーンでは、牛乳石鹸が大写しになった後、男性は気持ちを切り替えるかのように顔を洗う。
風呂から出た後、男性は妻に向かって「さっきはごめんね」と謝罪。家族は改めて、息子の誕生日を祝い始める。その後、画面には「さ、洗い流そ」とのキャッチコピーが表示され、動画はそのまま終わる。
出来れば是非皆さんにもご覧頂きたい。
……ご覧頂けました?
僕は最初見た時、「これで炎上って、もう『何も言えない』世の中じゃないか」と暗澹たる気持ちになったんだけど、見ている人によって見ている部分があまりにも異なっていることに気付いた。
さて。
このCMは「炎上して当然」のCMなのでしょうか。
それとも誤解されたCMなのでしょうか。
その答えは、どちらも不正解で、どちらも正解です。
ってことで、なるべく冷静に読み解いていきましょう。
「炎上して当然」の価値観とは?
まず話を始める前に、皆さんと
「廃れるべき旧来の価値観を(無自覚にせよ自覚的にせよ)肯定している作品は、批判されて当然」
という前提条件を共有しておきたいです。
「批判されて当然」というのは、言い換えると「炎上しても別に不思議ではない」っていう程度の意味です。もちろん、そういった「創作物」にもまた「表現の自由」に守られる権利があります。
同時に「批判する自由」も担保されるよってだけの話。
……例えば。
昔は「運動中に水を飲んではいけない」という「合ってる要素が今考えると何一つない」ような「常識」がかつては存在していました。
今、どこかの企業が
「水を飲むことも許さず、長時間の練習を強いた結果優勝した野球チームと監督の青春ストーリー」
みたいなCMを打ち出したら……
結果は想像に難くないですよね。
灰も残らないくらい燃えるでしょう。
さて。
「牛乳石鹸」のCMはどうでしょうか。
少なくとも「肯定」はされていないように見えます。
でも一方で、その「旧来の価値観」と「現在の価値観」との間で迷っている男が描かれているのは確かです。
「旧来の頑固な父親像」というものが、かつてあったことは誰にも否定できないでしょう。
少し話はそれますが、アレは高度経済成長の遺産だと僕は考えてます。
男が一人働けば、子供二人作って妻を養って一件家を建てられた。
そんな時代があったわけです。悲しいなぁ。
そんな時代ならまぁ、なんというか「働いてる人が家のことは妻に丸投げしてた」っていうような「価値観」が醸成されても不思議ではない。その善し悪しは置いといて。
だからこそ、そんな「頑固オヤジ」の時代があったからこそ、そんな「オヤジ」をボロ雑巾のように扱うような漫画が「ギャグ」として成立した時代があった。
今読んでみるとホント笑えなくてびっくりしますよ。
機会があれば是非。
兎にも角にも、今はそんな「旧来の」時代ではない。
「共働き」が当然の時代です。
仮に共働きでないにせよ、「家のことは相手に丸投げ」なんて気楽にやって良い時代じゃない。
昔とは責任も、すべきことも、何もかもが違う。
……時代が進むとともに、旧来の「父親像」は崩壊した。
CMの話に戻りますが、この話は結局「時代について行こうとしてるけどついて行ききれない男」の話なんですね。
その男は「あの頃のオヤジ」に憧れを抱いている。
さて、話を進めます。
それは「妥当な批判」?
「息子の誕生日に飲んで帰ってくる父親を肯定的に描いてる」ように見える点が大いに批判されてるようだけど、これに対してはTwitterでクリティカルな意見が提示されている。
牛乳石鹸のCM、家庭を顧みないザ・昭和な父親の元に育った男性が、父親も家事育児はして当たり前という今の価値観の中で苦悩する姿がリアルに描かれてるんだけど、この炎上はつまり「男は弱音を吐くべきではない」という価値観を持つ人が少なからずいることを意味するわけで、いろいろキツいなと思う
— 深爪@重版御礼「深爪式」絶賛発売中 (@fukazume_taro) 2017年8月16日
概ね同意なんだけど、ただ一点、批判している人は「男は弱音を吐くべきではない」と考えていないと思っている。
例えばこのツイートに対する意見なんだけど、
共働きでゴミ出しだけ担当は家事育児を充分していると言えるのですか?
— よるあさ (@asahiruban87) 2017年8月16日
それで家庭に疲れて逃げる、壊しにかかるのは許されるべき弱さなのですか?
弱音を許すとは誰がですか?息子にこの父親を許せと?母(妻)に子より父(夫)に味方しろと?
まさにこのツイートが典型で、
「家庭を営むためには弱音とか逃げるとかそもそも絶対にありえないでしょ」という価値観がどこかにあるようです。
以下、僕のツイートです。
ただ、「男は弱音を吐くべきではない」って観点から批判してるっていうより、「旧来の価値観なんかダメに決まってんじゃんバカなの?カスなの?なんで今の価値観で家族サービスしないの?アホなの?」って見方で批判してる人が多いように見える。「男の弱音を批判してる」って意図、全くないと思う
— Mistir (@mistclast) 2017年8月17日
つまるところ、
男は「家庭より仕事を大事にする旧来の価値観」にふと惹かれてしまい、よりにもよって息子の誕生日に「仕事を重視する」っていう、今の価値観から見るとなんだかアホ……というか「まさに炎上しそうな」選択をしてしまうわけなんだけど。
そこらへんの「魔が差した」感じが一切無視されて、「家庭をほったらかした」という結果だけが取り上げられて非難されているように見える。
少なくとも僕にはその辺りの葛藤がよく描けているように見えるのですが、どうもこのあたりを「分かりにくい」「何を描いているのか分からない」と批判される方もいるようです。
(実はCM側にも悪い点があるのですが、後述します)
そういった「魔が差した」ことさえも許さないという「完璧主義的な批判」が存在することが、逆説的にですが「旧来の価値観と現代の価値観の間で揺れ動く男」のリアリティや哀愁を補強しているとさえ思えてしまいます。
また話がそれますが、こういった役割を与えられると、新井浩文は神と化します。
「時代に置いて行かれた、ハードボイルドになりきれない、でも三枚目にもならない不思議なクズっぽさ」を出させるとこの人の右に出る人はいないんじゃないでしょうか。こういった役割をやって嫌味なイケメンに見えず、かと言って過剰なダメ人間にも見えず、なんだか適度な「社会に適合できてない感」をあまりにも上手く出しすぎてます。
逆にこれがもっとイケメンで「はぁー俺頑張ってるのになぁーツライわー」感が出すぎてたら、もっと炎上してたかも……
ちなみに僕が「人生最高の映画」と絶賛してる映画、『百円の恋』にも新井浩文がメインで出演しているのですが、これがまた良いキャラなんですよ。是非観てくださいね。
少し話を戻しますが、
「時代に取り残されたダメ感」を考えると……
「怒られた部下を飲みに連れていく」ってのもまさしく「昔の価値観」って感じがして、とても良いw
そこを批判する人もいるようですが、僕は笑っちゃいました。
ホントにこの人、時代に取り残されかけてるんだなぁって……
でもその選択が「肯定」されてるわけではないのです。
あくまでも「揺れ動いてる」その事実が描かれてるだけで、
「その在り方が無条件に肯定されているわけではない」。
あるいは、見方をかえると「魔が差して」前時代にされたことをそのままやっちゃったようにも見える。
この男、「部下を飲みに誘って慰める」とか苦手そうなんだもんw
他にも「ゴミ出してプレゼント買った程度で現代の父親像に合致してるつもりか」っていう批判がありますが、その批判はキリがないのでこの記事では語りません。「どこまでやったら『現代的な理想の父親になれるのか』」なんて、家庭次第としか言いようがないです。
さあ。
じゃあ、このCMは何も悪くない?
批判されるべきポイントが何もない?
……そんなことはありませんでした。
この辺り、この記事で語った『ブレンディのCM』とそっくり同じです。
過程はともかく、何故その結論に達したの!?
このCMも、結局はそういった話に行き着きます。
その結論はダメでしょ
CMの結論。
このCMが「牛乳石鹸」のCMである、アイデンティティに関わる部分。
さ、洗い流し……
てええワケがないだろうが!!!!!
何故その結論にした!?
洗い流すって何を?
悩んでる自分自身を洗い流すの?
いや、悩まないとダメでしょ。
良い父親像を模索するしかないでしょ。
過去の価値観を洗い流すの?
かっこよかったオヤジ像流しちゃうの?
現代の価値観を洗い流すの?
そりゃ炎上して当然だわな!!
「風呂入るまでの出来事」を洗い流すの?
飲みに誘われた部下はただの被害者かよ!
……うん。
要するに、話が全く繋がらないんですよ。
牛乳石鹸の広告問題は、いろんな意見があって良いです。
— 関洋平 Seki Youhei (@yokai0330) 2017年8月16日
ただ企業広告として、「さ、洗い流そ。」という一番大切な部分と、広告内容が合っていないことが問題だと思います。
牛乳石鹸という「優しい」「花の香り」「清潔」なイメージを裏切れば、それはブランドを傷付けます。
間違った禊の使い方。
この批判は非常に的確で、「間違った禊の使い方」っていう表現が非常に上手い。
そう。
「洗い流してはいけない」んです。
そう考えるとマスターカードのCM:「プライスレス」ってよく出来てたなぁと思う。
「お金で買えない価値がある、買えるものはマスターカードで」ってやつ。
自社の製品が「金で買えるものだけ」にしか干渉しないことをよく理解してる。
牛乳石鹸は真逆のことをやってしまったわけですね。
マスターカードで例えるならば、「人の心も買っちまいましょう、マスターカードで」みたいなことを言っちゃったわけです。
繰り返すようですが。
自分の葛藤まで洗い流しちゃ、ダメですよ。
……まぁ。
この路線で批判してる人はそんなに多くなくて、やっぱり前段階の「肯定的に描いてるように見える」とかその点で批判されてるのが多いように見えるのは確かですが……
これが「洗い流しちゃいけないものもある。俺は悩みながら良き父親を目指していこう」っていう終わり方なら、「炎上」しなかったんでしょうかね。
「仮定の話は、洗い流してしまいましょう」。
考えるだけどうしようもありません。
以下余談
ここからは完全に余談ですが、「牛乳石鹸」CMに対する批判を参考にするためたくさん読んで……
心が疲れました。
……みんな、お互いに追い詰め過ぎじゃないかなぁ……
それぞれの家族の最適解はそれぞれの家族で話し合ってそれぞれの家族の数だけあるべきのはずなんだけど……
「家族は、父親はこうあるべき」みたいな批判が凄く多くて、読むだけでドッと疲れてしまった。
……なんだか。
みんな、今の時代。すっごくハードに考えて、理詰めして、そうでもしないと家族って作れないみたいな考え方の人多いのだろうか。
それとも、そう考えてなかったけど、実際に家族を作ったら旦那(嫁)がいい加減過ぎて、きっちり考えざるを得ないって結論にたどり着いたのだろうか。
……なんだか。
少子化の原因の片鱗を見た気がして、げんなりしてしまった。
それともこれは僕の考えすぎだろうか……
人は時に悩むのだから。
「洗い流されなければ」……
そこに葛藤はあってもいいと思うのだけどね。
余談終わりです。
お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。