こんにちは、Mistirです。
語るべきか、語らざるべきか。
少し悩んだんだけど、やっぱり思うことがあるので語りたい。
ことの経緯は「保毛尾田保毛男」でググってもらうとして。
僕はタイトルにある通り、「本当に、社会は『堅苦しく』なって、『何も語れなく』なるのか」ということに関してのみ、語りたい。
闇の時代を生きてきて
僕は今25歳で、バブルがまさにはじけ飛ぶ1992年に生まれた平成生まれだ。
だから全盛期の「とんねるずブーム」については知らないんだけど、彼らの今のテレビでの立ち位置を鑑みるに、相当なものだったことは予想できる。
そして、そのブームを知る人たちが「昔はOKだった笑いが、今は駄目と言われる。堅苦しいもんだ」と思う気持ちも、正直なところだいぶ理解できる。
僕はそもそも、OKとされてきた「表現」が、時代とともに「ダメ」になることについては、基本的には反対のスタンスだ。
もっとはっきり言ってしまえば、表現など過激でナンボだ、と思ってる。
ここで眉をひそめられた方も、ぜひ最後までお読み頂きたい。
少年漫画のエロ表現が西で叩かれるならば「お前コウノトリに運ばれて生まれたの?」と皮肉のひとつも言いたくなるし、東でCMが炎上したら「よっしゃ、その表現は本当に『炎上』が妥当なのか検証してみよう」と検証をおっ始める、そんな人間だ。
でも、今回の件はそれらとは違った観点で見てる。
「そもそもそれ、笑いになる時代?」って観点だ。
「同性愛の扱いが難しくなった」といった、そういったレベルの話じゃない。
もっと大きなレベルの話だ。
もう一度言うが、僕は表現はもっと過激になるべきだと思ってる。
AVのモザイクとか、アレ意味がわからない。
……それは全く別の話ですね。うん。
……でも。
最近は同時に、テレビに対してこう思う。
「君ら、過激の意味勘違いしてない?」と。
「優しい笑い」の時代
今、僕が大好きなジャンプのギャグ漫画があって、『青春兵器ナンバーワン』っていう漫画なんだけど……
8話くらいから脂が乗ってきて右肩上がりで面白くなっていく。
ジャンプでも打ち切り寸前になって、またランクが上がって……と、かなり根強い人気があるようだ。
通称、「ジャンプの不死鳥」。
この漫画、物凄く大きな特徴がある。
「人を不快にする笑い」を、物凄く丁寧に取り除いている。
狂気的なのに、物凄く世界観が優しいのだ。
このあたり『けものフレンズ』なんかと似てるけど、もしかしたらそれ以上に優しい世界なんじゃないかとたまに思うくらいだ。
『青春兵器ナンバーワン』、例えばこの一回しか出てこないカリスマ美容師も(よくあるイケ好かない奴ではなく)異常にプロ意識の高い「いい人」なんだよな…。そんな「いい人」だからこそヒドイ展開になるんだけど、笑いながらも「立派だよアンタ…」と思えてくるし、読後感が異様に良い。(2巻より) pic.twitter.com/OTgbPeswyL
— ぬまがさ (@numagasa) 2017年8月10日
で、何故「青春兵器」の話題を持ち出したのかというと……
何故、今「優しい世界」のギャグが求められるのか、という話につながる。
簡単な話だ。
「現実と化したギャグなんて、ギャグじゃない」のだ。
例えば皮肉まみれの海外アニメ『サウスパーク』はトランプ大統領をネタにしない。
現実がアニメを超えていくからだそうだ。
ギャグだけじゃなくて、あらゆる『創作』は「世界」「社会」と呼応している。
当たり前だ。社会があって作品が生まれる。逆はまあ無いことはないのだが、稀だ。
ここから貼るリンク先はもう、何度でも読み返して欲しい。
僕も定期的に読み返して考えているのだけれど……
読んでもらえました?
他のリンク先は参考なので読み飛ばしてもいいですが、上のリンクだけは絶対に読んで頂きたいです。
……で、もう何が言いたいか伝わってしまったかもしれないんだけど。
もう、「バブル時期にウケた笑いの形態は」現代では絶対に、通じないんですよ。
それくらい、社会が弱くなってしまったから。
今、「他人をいじめる」ような笑いは、即座にそれが現実に直結する。
例えば「芸人の車を爆破する」みたいなギャグ、バブル時期なら全然笑いで良かったでしょう。一台爆破しても、その芸人はもっとギャラを貰えることが自明だし。
まぁそれでも「他人の大事にしてるものを壊すのはどうなんだ」ってのはあるかもしれないけど、要は……
「安心して見れるかどうか」
というのは、凄く大きな要素なんだと思っている。
あと、僕は「過激な表現が大好きだ」と言った。
でも、「過激」というのは……
「安全圏からぶん殴ること」ではない。当然だ。
玉座に乗った王が民衆に爆弾を投げて笑えるか?
王を全力で馬鹿にする道化師だからこそ笑えるのだろう?
当然だ。
……そこを、今のテレビ局は思いっきり間違えている。
例えばアマゾンプライムビデオ配信限定で、「地上波ではできないことをやる」とか言いながら、「ホームレスの方々を集めてクイズ大会」みたいなことをしてる番組があるのだけれど……
アホか、としか言えない。
権力、既得権益、そんな塊のテレビ局が、高みからホームレスの方々を集めて「過激なことをやってますよ」とのたまうその考え方に反吐が出る。
そんなもの、何が面白いんだ。
「保毛尾田保毛男」を同じで、今更そんなこととんねるずにやられても
「あのすみません、それは2017年現在、どこの誰に対する『挑戦』なんですか?」としか言いようがない。
時代に合ってない。少なくとも、僕はそれを「権力を持った機構の、玉座からの『いじめ』」と認識する。
……だが。
それは、「『堅苦しい』時代になったから」じゃない。「締め付けが厳しい時代だから」じゃない。
「時代が、社会が根本的に疲弊している」のだ。
みんな、うんざりしているのだ。
というか、「昔のテレビは面白かった」というようなことを言うのならば、もっともっと本当の意味で「過激な」ことをすればいいじゃないか。
今の笑いは、「一部の成功したお偉いさんが、よってたかって身内でワイワイしてるだけ」じゃないか。
「権力への反抗」なんて、そこには微塵もない。
薄ら寒いお仲間意識があるだけだ。
だから僕は、そんなものを面白いと思えない。
鳥肌実を見習え。
僕の理想の笑いはそれだ。
全てを敵に回せ。
権力が弱者をいじめるのは、現実だけで十分なんだ。
この言葉の重みを、テレビは噛みしめて欲しい。
もう一つ。
「社会は堅苦しくなっているのか」ってことについてさらに詳しく言えば……
レディ・ファーストというかフェミニズム的思想が行き過ぎたことを皮肉る話が『サラリーマン金太郎』であったことを覚えている。
具体的にはクソ女(本当にクソ女)に「このクソ女が!」と言った金太郎が訴えられるんだけど、「うっせーわ男だったらクソ野郎って言ってたわバーカ!!!!!」みたいな、そんな話。
もし本当に「LGBT」が一種のフェミニズムと同様に「権力」的なものを持ち始めてくるとするならば。
そのときは「保毛尾田保毛男」が「笑い」として成立しうる時代も来るかもしれない。
時代はそうやってループするし、そんな時代がもし来るならば、それは健全な形で社会に「LGBT」が根付いたということなのだろう。
だが少なくともそれは、今ではない。
※まぁ正直なところ、「保毛尾田保毛男」は時代がいくら巡ろうともド偏見の塊で笑えもせず無意味なものにしか見えないというのが僕の考えだが、それは今の「時代」から見たものに過ぎないので、判断を保留している。
僕はひとつ、信じている事がある。
「時代が悪くなったから、表現が堅苦しくなって貧弱になった」なんてことは、少しズレていると。
もしそれがあるとするならば、「その過激さは求められていないし、それはもっと言えば過激ですら無い」だけだ。
さっき言った「弱者を馬鹿にする笑い」がそうだ。
時代は変わる。
笑いも変わる。
それだけの話だ。
ちなみにさっき挙げた『青春兵器ナンバーワン』は、『ONE PIECE』まるまる一本パロった回がある。
「強大な相手と戦う」っていうのはそういうことなんだよ……!
……そういうことなのか?
最後に、「時代」について語られた、あるツイートを引用して、この記事を締めくくりたい。
「保毛尾田保毛男」が同性愛者差別にあたると抗議でフジ謝罪の件、バラエティ番組における「とんねるず的なモノ」に引導を渡した感がハンパないし、ひとつの時代の完全な終わりを感じる。
— 深爪@11/2新刊「深爪流」ご予約受付中 (@fukazume_taro) 2017年9月29日
お読み頂き、ありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。