こんにちは、Mistirです。
「世界を埋め尽くす悲しい言葉」
こう言った時にゲームみたいな言い回しだ、厨二病だと嘲笑できるなら、それはまだ幸せだと思う。
実際、これは某ゲームのセリフだ。
最近、僕はなるべくインターネットから離れるようにしている。
まぁ離れては戻り戻っては離れを繰り返しているから、今回も
「これでもう二度とネットなんかしないぞ!俺は変わったんだ!」
などとほざくつもりは一切なく、ただの実験のひとつであるという認識だ。
それでもまた気付く。
インターネットは、悲しい言葉に溢れすぎている。
「悲しいニュースです」。
「こういうクソ野郎がいて、私はこうやって復讐しました」。
「拡散希望。こんなクソ野郎がいました」。
「私はこんな酷い目に会いました」。
人は、あるいは僕は。
そういった悲しい言葉に影響を受けないでいられるほど強くはない。
でもそんな僕らの弱さとは逆行するように、悲しい言葉というものはとても「強い」。
インターネットで、楽しい言葉だけを使っていわゆる「バズ」を……特に狙って起こそうとすると、悲しい言葉を使ったそれよりも誇張抜きに100倍は難しい。
それでも、SNSやネットにずっと張り付いて「新しいバズ」を追っていると……
かなり高い割合で「悲しい記事」に巡り合ってしまう。
話は少しズレるけれど、以前泊まった民宿でふとテレビを観ていると、ある企画をやっていた。
具体的に言うとバレてしまうからボカすけれど、要はオーディションだ。
不合格の人間を審査員はボロボロに叩く。
泣き出す受験者もいる。
たとえ審査基準が正論だったとしても、悪趣味だなぁと思った。
その光景は……
「いくら正論だったとしても」
「いくら受験が任意のオーディションとはいえ」、
「第三者である僕の目に映ったそれは」
「パワハラ」以外の何でもなかったからだ。
だけど同時に、その映像からなかなかチャンネルを切り替えられないでいる自分がいた。
そしてふと気付いた。
ああ。
パワハラって。
「エンタメ」なんだ。
もちろん論理の飛躍はある。
より厳密に言おう。
「『正論』にせよ何にせよ、『厳しい世界』みたいなものが提示されて、そこに立ち向かったりする人やそれが叩き切られたり『それに耐えて』のし上がったり、その様子そのものが古典的なエンタメで、『パワハラ』の構図って稀にその古典的エンタメのテンプレートに合致しちゃうんだ」
と。
なんでこんな話をしたかっていうと、僕は前々から「現実が物語を超えてきてる」、別の表現を使うと「物語が現実に浸食してる」っていう話をたまにしているんだけど。
最近「現実」がエンタメとして提供されすぎなんだよね。
それも特に「力のある、悲しい現実」が。
それどころか……
具体例は絶対に出したくないんだけど、「エンタメ」という言葉すら絶対に使いたくないような「悲劇」が、まるで「不条理劇のように」立ち上がってくることすらある。
そんな不条理劇は、本当に、良くも悪くも……主に悪い意味で「パワフル」だ。
「人生」という物語が速度感を伴って流れているときに(比喩ではなく現実で公演されていたり上映されていたりする)「不条理劇」を観ることは、「世の中はそこまで単純じゃない」って事実を僕らに思い出させてくれる。
だけど、もう世の中は徹頭徹尾不条理で、何一つ単純じゃなくなっている。
誰もが知っている。
そんな世界で、悲しい物語や不条理な物語ばかりどんどん提供されて……
後者は別としても、前者:悲しい物語はエンタメとしての性質を兼ね備えてるから、僕らはついフォーカスして、夢中になってしまう。
それが良い結果をもたらすか、悪い結果をもたらすか、そんなことは後回しにして。
「誰も夢中になんかなってない」と思うだろうか。
否。
誰でも経験はあると思う。
「とても辛いことがありました」という「ひどい話」を、指先一本でリツイートしてしまう。
シェアしてしまう。
それは悲しみの再生産行為だ。
それが悪いことだとは言わない、僕も何度もやったことがある。
なんなら、この記事も「悲しみの再生産行為」なのかもしれない。
自覚している。
自覚しているのだ。
だんだん、僕のブログはいつからか「悲しみの再生産」が主軸になってしまった。
でも結局、それが嫌なら「それをやめる」しかないのだ。
欺瞞でもなんでもいい。「幸せな言葉」に埋もれる方が、幸せでいられる。
別に宗教に染まれと言っているわけじゃない。
毎日読み上げるなら、ツイッターでバズるニュースじゃなくて、松岡修造日めくりカレンダーの言葉の方がいい。
それだけの話なのだ。
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それだけの話なのだけれど……
難しいんだよね。今、ツイッターもSNSもやらないってなると、逆に色々制限されちゃうし。
情報収集の主軸はツイッターって人も少なくないだろう。
それでも僕はしばらく「自分にプラスになる言葉」だけを自分に浴びせたい。
僕のブログのこと、今後のこと
以下、余談です。
「悲しみの再生産」。
僕はそれを書くのが割と得意なようだ。
僕が書いたバズった記事は、たまに明るい内容のものがあるけれど、そうではないものの方が明らかに力を持ってバズっている。
だけど、もうそろそろ疲れてしまった。
それが嫌で「愉快な記事だけ書くぜ!」と思ったこともあったけど、どうやらそれはそれで向いていない。
やっぱり僕は好きなことを好きなようにしか書けないようだ。
だからしばら別のブログでバイクのことばかり延々と書こうかな、と思っている。
まぁ、なるようになるかな。
お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事で。