虫が殺せない。
いや、理由があればギリギリ殺せる。
例えば夜、寝室で蚊が飛んでいたら、無心でキンチョールを撒き散らしたりはできる。
積極的に自分を加害してくる虫を殺す、それはまあ仕方ないと納得できる。
以前、とある水族館の屋外の池で溺れかけている毛虫を見かけた。
池は柵で覆われており、近づけなかったのでどうしようもなかったが、毛虫はとても苦しそうだった。
助けることもできず、助けないこともできず、動けなくなってしまった。
結局どうしようもなかったのでそのまま帰った。
その日一日落ち込んだ。
別の日。
でかいゴキブリが家に出てきた。
僕は蜘蛛は触れるが、どうしてもゴキブリが苦手だ。
理屈ではゴキブリはそこまでばっちぃものではない、加害してくるものではないと分かっているのだが、苦手なものは苦手である。せめて脚に鋭い毛が生えていなければまだマシだったのに。
仕方ないので頑張ってスプレーや洗剤で駆除した。
ゴキブリは苦しそうに死んだ。
その日、そして次の日半日程度落ち込んで何もできなくなった。
別の日。
池で溺れかけているアブのような虫を見つけた。
苦しそうだったので助けた。
俺は何をしているのだろうと思った。
今日。
2023年11月11日。
家の共用部分、足元の壁にアゲハチョウの5齢幼虫がいた。
蛹になる直前にも見えた。
今年の11月は9月のように暑かったが、今日急激に寒くなって、虫もおそらく混乱していたことだろうと思う。
ここで蛹になってしまうと、掃除担当の人に洗い流されてしまう可能性が高いという位置だった。
なんとか移動できないか、と僕はマンションの共用部分に這いつくばりながらそいつを動かそうとした。
だがガッチリと壁に張り付いていて、取れる気がしない。
しかもなんか糸を出してるようにも見える。
これはやっぱり、越冬のために蛹になる直前では?
だとすると触れるべきではない。
けれど放置していても殺されてしまう可能性が高い……
何度か動かそうとしたが、無理だと悟り、なすがままに任せることにした。
もしかすると、このタイミングで動かそうとしたことでとどめを刺してしまったかもしれない。
3時間ほどへこんだ。
【追記】
3日後、蛹になってた……
生き物ってすげぇ……
【追記ここまで】
……。
……生きにくい。
生きにくすぎる。
たまに生物系YouTuberを観るが、よく躊躇いなく生き物を殺せるなぁと思うことがある。もちろん彼らも無益な殺生はしないのだが、ここまで書いた僕のような行動をする人間とは精神構造が根本的に違う気がする。
いや、というより生物系YouTuberのほうがまだ一般的感性で、僕のほうが特殊なのだろう。
僕も映像越しなら「もうちょっとスマートに殺してあげられないのかな」と思うことくらいはあっても、あまりかわいそうだなぁとか思ったり、へこんだりすることはない。
けれど、自分が直接的に「死」に関わるのがどうも苦手で仕方ない。
刑法の勉強をしていてよく思う。
虫の生死ですら心が揺らぐのに、人の生死に直接関わる人はどのような精神性で生きているのだろうか、と。
冤罪の可能性が極めて高いと言われている袴田さんの事件は、検察側が再審有罪立証をする方針らしい。つまり、「なんとしても死刑判決を出したい = 袴田さんを殺したい」ということだ。
なんのために?メンツのために、か。
あるいはプライドのために、か。
一体、どんな精神性なのだろう。
世の中にはそんな精神性の「人間」……つまり、メンツやらプライドやら惰性のために「人」を殺せる人間がいるわけで。
彼らに比べりゃ、そりゃ僕なんか生きにくいだろうなぁ、と思う。
そして彼らが羨ましく……いや、ならないな。
ただただ理解に苦しむ。
あるいは彼らは彼らで苦しんでいるのだろうか。
組織の軋轢に押しつぶされそうになりながら、誰か……他者を殺そうとしているのだろうか。
想像する他無い。
ああ、生きやすくなりたい。強くなりたい。
もう少し鈍感になったほうが良いのか。
しんどいなぁ。