いつかどこかに行けると信じていた。
例えば中学の頃は滅茶苦茶な本数のゲームをやっていたし、テレビを見ながらPS2のディスク作動音だけ聞いてフローを暗記してレベル上げをするなど意味のわからないことをやっていた。
レベル9999まで上げられてその後1からやり直せる変なゲームがあったのである。
あった、というか今も続いている人気シリーズだけれど。
まあとにかく、そんなこんなでゲームの本数を積み重ねていた。
高校の頃は滅茶苦茶本を読んでいた。
滅茶苦茶本を読んだら何かが変わると思っていたのかもしれない。
何かに耽溺すれば何かが変わる。
もっと言えば、どこかに行ける。
そう信じていた。
某有名大学に入って卒業式でコスプレすれば何かが変わると信じていた。
東京に行けば。
バイクを買えば。
九州の果てまで行けば。
北海道の果てまで行けば。
車を買えば。
本当は分かっていた。
いや、分かっていなかったのかもしれない。
でも少なくとも今は分かる。
どこにも行けないのだ。
ガンダーラはどこにもない。
……とは、言いつつ。
結局それは、たどり着いちゃったら、行ってしまったら、変わってしまったら、全ては過去の話だっていうそれだけの話なのかもしれない。
好きな音楽を聴きながら夜の首都高を車で走っていると、少しだけ泣きそうになる。
お前はこんな未来を想像していたか?
お前の想像した未来より、少しだけダサカッコイイことをしているぞ、俺は、と。
結局のところ、少しずつ少しずつ変わっていった、その最果てにいつも自分はいるという、それだけの話なのだ。
そうやって繰り返し繰り返し、生きて生きて、いずれ死ぬ。
分かっている。
分かっているの、だが。
こんな歳にもなって、まだガンダーラを探している。
日常の些細な変化で到達できる何かを超越した、圧倒的な「どこか」。
……やっぱり僕は何も分かっていないのかもしれない。
10年ちょっと前に絵を描き始めた。
途中で気付いた。
地道に練習、なんていうことができない。
集中が苦手だ。
3年ほど前、司法試験に挑戦して弁護士になろうと思った。
途中で気付いた。
自分は人と人との争いに口を出せる精神をしていない。
平和主義者というより極端な神経質。
ガンダーラを求めてガッと変なことにチャレンジする。
そしていつも何がしたいのかわからなくなって燃え尽きる。
そして疲れて思う。
自分にはしたいことなど何もなかったのではないか、と。
本当は美味しいものが食べられて、寝られて、セックスができればそれで良いのかもしれない。
でもずっと美味しいものが食べられて、ずっと寝られて、ずっとセックスができる空間ってそれはガンダーラなのか?
どうなんだ?
むしろ地獄なんじゃねーか、それは。
……いやぁでもやっぱそんな世界があったら行ってみたくはあるなぁ、ガンダーラじゃないにせよ。
もしかしてもっとシンプルにモテたいだけなのかも?
確かにすっげぇモテたら別世界が見えるかもしれないよな。
まぁ食べ放題寝放題ハーレムの世界を考えるのも、ガンダーラについて考えるのも、モテモテになる妄想をするのも、全部同じことだ。
それはただの現実逃避。
……いや、現実から逃避しているわけではない気がする、普通に一応自立して生きてるつもりだし。
仕事はそこまで嫌じゃないし。
……でもまぁ、アレか。
「どこにも行けない」という事実からは逃げてるか。
それを仮に「現実」って呼ぶべきだとしたら、だけど。
プロゲーマーのウメハラが言っていた。
一日一つだけ変化させれば良いと。
座右の銘ってほどじゃないけれど、昔からなんとなく好きな考え方だった。
今もたまに筋トレがしんどくなったらゲーセンでダンスダンスレボリューションを*1やったり、続かないと知りながらFit Boxingを買ってみたり、今まで作ったことが無かったリュウジのレシピにチャレンジしてみたり、作曲に手を出してみたり。
思い出したかのようにブログを書いてみたり。
何になるんだろうなぁ、ダルいなぁとか考えつつ。
それでも日々を改善しながら生きている。
そうこうしてたら、多分いつか死ぬのだろう。
死ぬときには「意外と遠くに来たな」とか思うのだろうか。
それとも「ああ、結局どこにも行けなかったな」と思うのだろうか。
ここはどこなんだろうな。
人生の7割は予告編で 残りの命数えたときに本編が始まる
まだ僕の人生は予告編なのだろうか。
去年、一昨年あたりはもう余生のつもりだったのだけれど、まだ余生には至れそうもない。
ギラギラしているわけじゃない。
けれども心のどこかでやっぱりガンダーラを諦めていない自分がいる。
それで良いのだろう。
妄想で上等だ。
悟った気になっても、何も意味はない。
やっぱり僕は、おそらく、何も分かっちゃいないのだ。
そして多分、それでいい。
ではまた。
*1:DPで14の簡単なやつならクリアできる