Midnight Note

明日はどこまで行こうか

人生とは徹頭徹尾、クソゲーである

人生は徹頭徹尾、クソゲーだ。
これは恨み言でも偏見でもない。
ただの事実だ。

だってそうだろう?
クリアがないのにゲームオーバーだけがあるのだから。
ゲームオーバーとはここでは明確に「死」と定義しよう。
それ以外をゲームオーバー扱いするとノイズになる。

楽しくプレイしていても何かミスったらゲームオーバー。
ミスしなくても、自分に非がなくても運が悪けりゃゲームオーバー。
放っておいてもいつかは必ずゲームオーバー。
そりゃクソゲーだろ。

生きるのが辛いというならそれはそれでやっぱりクソゲー。
ほら、どう転んでもクソゲーだ。

……なんてことを、最近よく考える。

近況

地元に戻り、フルリモートでフリーランスなエンジニアを続けている。
AIのコーディングスキルの成長は目覚しく、もう人間がコードを書く必要はなくなったと言っても過言ではない。*1
1年前はまだ怪しかった。
だが、今はコストが下がり続け、一方で能力値は上がり続けている。

結果的に、僕の仕事は「勤務時間中ほぼずっとAIにパワハラし続けること」+「出力や処理を待つこと」になった。
これは結構病む。

note.icare-carely.co.jpまあそれでもイース8とかイース9とかいう神ゲーにメンタルを救われながらなんとか生きてきた。

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ここしばらくゲームや『超かぐや姫!』のレビューみたいなことしかブログに書いていなかったのは、シンプルにメンタルの不調が原因だった。
あと語ることに意味を感じなくなり始めた、というのもある。

それでもイースをやっているときは結構回復している実感があった。
面白いゲームをやっているときだけは、それだけに集中できる。

とりあえずこのBGMを聴いてみてほしい。


www.youtube.com


これ何のBGMだと思う?
「主人公が乗った船が沈没して全員行方不明になり、無人島に漂流して最初のBGM」です。
あまりにも良い意味でアホすぎて元気が出る。

閑話休題。

繰り返すが、人生というのはクソゲーだ。
人生自体にクリアはない。
だがその人生というゲームの中で、クリアのあるゲームを遊ぶことができる。
ここで言うゲームは比喩的な意味でもあり、直接的な意味でもある。

言い換えると、人生というゲームの中にはたくさんの「ミニゲーム」や「サブクエスト」があるというわけだ。
そいつらの中にはクソゲーもあれば神ゲーもある。

人生そのものが神ゲーだ、クリアのあるゲームだ、一本道で目的があるものだ……
などと勘違いするとメンタルの病気一直線だ。

結局のところ、この人生というクソゲーは。
その中でいくつ神ゲーを発掘できるか。
それに尽きるのだろう。
……少なくとも、僕みたいな「クソゲーそのもの」を楽しめない人間にとっては。

でも、この「サブクエスト」群の中から自分にあった神ゲーを探すというのは大変に疲れる作業だ。
見つかるとも限らない。
やってみて面白いと思ったら、クリア直前に実はクリア条件が無いと判明したりもする。
誰かにとって面白いサブクエストは、誰かにとっての拷問だ。
……うーん、やっぱこんな「サブクエスト」を設計する「ゲーム」は、クソゲーだな。

……などということを最近ずっと考えている。
そこに大きな意味はない。


が、まぁそれでも。
「人生が意味やクリアのあるゲームだと勘違いするなよ」という、自分への戒め程度には機能している。

前向きに表現するならば

「さぁ、次は何のゲームをしようか」。
僕のような人間は、それだけ考えていれば良いのだ。
というか、それしかできないのだ。
結局のところ、それだけだ。

*1:特殊な実装が必要な現場ではAIは無力だったりする。だがどちらかといえば例外である印象を持っている。