人生は徹頭徹尾、クソゲーだ。
これは恨み言でも偏見でもない。
ただの事実だ。
だってそうだろう?
クリアがないのにゲームオーバーだけがあるのだから。
ゲームオーバーとはここでは明確に「死」と定義しよう。
それ以外をゲームオーバー扱いするとノイズになる。
楽しくプレイしていても何かミスったらゲームオーバー。
ミスしなくても、自分に非がなくても運が悪けりゃゲームオーバー。
放っておいてもいつかは必ずゲームオーバー。
そりゃクソゲーだろ。
生きるのが辛いというならそれはそれでやっぱりクソゲー。
ほら、どう転んでもクソゲーだ。
……なんてことを、最近よく考える。
近況
地元に戻り、フルリモートでフリーランスなエンジニアを続けている。
AIのコーディングスキルの成長は目覚しく、もう人間がコードを書く必要はなくなったと言っても過言ではない。*1
1年前はまだ怪しかった。
だが、今はコストが下がり続け、一方で能力値は上がり続けている。
結果的に、僕の仕事は「勤務時間中ほぼずっとAIにパワハラし続けること」+「出力や処理を待つこと」になった。
これは結構病む。
note.icare-carely.co.jpまあそれでもイース8とかイース9とかいう神ゲーにメンタルを救われながらなんとか生きてきた。
ここしばらくゲームや『超かぐや姫!』のレビューみたいなことしかブログに書いていなかったのは、シンプルにメンタルの不調が原因だった。
あと語ることに意味を感じなくなり始めた、というのもある。
それでもイースをやっているときは結構回復している実感があった。
面白いゲームをやっているときだけは、それだけに集中できる。
とりあえずこのBGMを聴いてみてほしい。
これ何のBGMだと思う?
「主人公が乗った船が沈没して全員行方不明になり、無人島に漂流して最初のBGM」です。
あまりにも良い意味でアホすぎて元気が出る。
閑話休題。
繰り返すが、人生というのはクソゲーだ。
人生自体にクリアはない。
だがその人生というゲームの中で、クリアのあるゲームを遊ぶことができる。
ここで言うゲームは比喩的な意味でもあり、直接的な意味でもある。
言い換えると、人生というゲームの中にはたくさんの「ミニゲーム」や「サブクエスト」があるというわけだ。
そいつらの中にはクソゲーもあれば神ゲーもある。
人生そのものが神ゲーだ、クリアのあるゲームだ、一本道で目的があるものだ……
などと勘違いするとメンタルの病気一直線だ。
結局のところ、この人生というクソゲーは。
その中でいくつ神ゲーを発掘できるか。
それに尽きるのだろう。
……少なくとも、僕みたいな「クソゲーそのもの」を楽しめない人間にとっては。
でも、この「サブクエスト」群の中から自分にあった神ゲーを探すというのは大変に疲れる作業だ。
見つかるとも限らない。
やってみて面白いと思ったら、クリア直前に実はクリア条件が無いと判明したりもする。
誰かにとって面白いサブクエストは、誰かにとっての拷問だ。
……うーん、やっぱこんな「サブクエスト」を設計する「ゲーム」は、クソゲーだな。
……などということを最近ずっと考えている。
そこに大きな意味はない。
が、まぁそれでも。
「人生が意味やクリアのあるゲームだと勘違いするなよ」という、自分への戒め程度には機能している。
前向きに表現するならば
「さぁ、次は何のゲームをしようか」。
僕のような人間は、それだけ考えていれば良いのだ。
というか、それしかできないのだ。
結局のところ、それだけだ。
*1:特殊な実装が必要な現場ではAIは無力だったりする。だがどちらかといえば例外である印象を持っている。