自分の靴の紐も結べないのに、なにをしようというのだ
これは禅僧である鈴木俊貴が、「海の向こうで戦争しているのに私たちはここで何をしているのか?」と言われた際の言葉だそうだ。
微笑んでから何度もその質問者を殴ってこう言ったという。*1
後ほど鈴木老師は質問者に謝罪したという。
「戦争中の日本の体験を思い出してな」と。
僕は折りに触れてこのエピソードを思い出している。
靴紐を結ぶということ
ところでメンヘラをこじらせてホストに貢ぎまくった挙句行方不明になったガールズバーの女を知っているのだが、そいつは言っていた。
考えるのを止めるのは思考停止だと。
僕は言った。
「お前ごときの頭で考えて何になるんだよ、自己完結した思考をぐるぐる回すことこそ思考停止だろーが」と。
なんでこんな事を思い出しているのかというと、どうも最近自分自身、「自分の靴紐を結ぶために」何をすべきか、ということをよく考えるからだ。
まず、Twitterをやめた。(数年ぶり数度目)
アカウント削除後、パスワードも更新して、アカウントの復活もできないようにした。
きっかけは、今フルリモートでバンバン仕事をしており、AIをフル活用してコーディングなどしているのだが、
- 日々AIの出力を待ちつつ
- Twitterの新しい情報を待ちつつ
- YouTubeで新しくサジェストされるショート動画に身を委ね
……などしていると。
これはもうはっきりと気付いたのである。
あ、これは壊れる、と。
完全に、壊れると。
というか一度壊れたのかもしれない。
過集中というか過覚醒というか、どう言うべきか分からないのだが、とにかくおかしなことになった。
そうなってくると身体が「接地感」というか、「世界との接続」を求めているのはわかった。
要するに身体が宙に浮いているのだ。
それは浮遊感などという気持ちの良いものではない。
ただただ足場を失って窒息を待つだけだ。
こういうときは筋トレや運動が一番なのだが、ダルかったのでまずはネイチャージモンを読んだ。
「どういうことだよ」と思われたと思う。
俺もそう思うよ。どういうことだよ。
この漫画は寺門ジモンがクワガタを採ったり肉を食う話なのだが、なんとなく今の自分に必要な気がした。
そしてリスペクトして週3回焼肉に行った。
胃がもたれた。
そういえば俺は土井善晴の信者だった、と思い出し『一汁一菜で良いという提案』を読み返しながら味噌汁を作った。
胃が回復した。
我ながらわけがわからないが、少なくとも「次の情報」に飢えまくる人生よりは良い方向に進めているのではないか、と思う。
俺が考えても意味はない?
Twitterをやめたのは大正解だったと思っているが、一つだけ後悔というか、引っかかっていることがある。
辺野古の事故の件だ。
特定の政治思想と癒着する教育現場、蔑ろにされた安全管理によってついに死者まででてしまった、あまりにも酷い話だ。
しかも、何を恐れているのか一部のメディア以外の報道は非常に薄い。
「そんなもの、陰謀論であってくれよ」。
僕はときどきそう思う。
けれどどうも、陰謀論でもなんでもなく特定のメディアが特定の領域にのみ「報道しない自由を行使する」なんてことはそこにあるらしい。
吐き気がする。
はっきり言って邪悪だ。
この邪悪に立ち向かえるのはSNSだけだ。
悲しいけど、そうだ。
これこそが真の民主主義社会じゃないか。
邪悪な奴らを許すな。
……と、思う自分は、確かにいる。
本当にいる。
けれど、僕はそういうものに触れないほうが良いらしい。
触れたら一瞬で頭がおかしくなってしまう。
これはもしかしたら「SNSで声を上げている人たちへのフリーライドなのかな」と思うことがある。SNSをやめることで「陰謀論じみたおぞましい現実」に気付けないのではないか、と。
……いや、幾分真面目すぎるのかな。
ここまで考えるのは。
「自分の靴の紐も結べないのに、なにをしようというのだ」。
少なくとも、僕が僕の靴紐を結ぶためには、SNSから離れなければならなかった。
それだけの話だ。
「丁寧な暮らし」
「丁寧な暮らし」という言葉にはなんとなく嫌悪感がある。
どうも道徳じみている。
けれど、「自分で食べるものを自分で作るから自由になれる」という土井善晴の言葉に、僕は感銘を受ける。
食にしたって情報にしたって、「あ、振り回されてるな」というときに、幾ら「好き勝手に食べて、好き勝手にネットを見て」していたとしても、自由は感じられない。
案外、少しだけ丁寧に掃除をしたりとかそういった時間に自由はあるものだ。
そういうものなのだろう。
けれど、「そういうものだ」ということにはなかなか気付けないものである。
気付いたら食生活は乱れ、得る情報は乱れ……
やっぱり毎日「普通に」生活することが一番大変だなぁ、と思う。
「普通に」生活するだけならそんなにコストも掛からないはずなんだけど、そんなことに気づくことも大変だ。
やっぱり大変だ、色々。
自分という容れ物を一歩隔てて外側には、陰謀論も霞むようなカオスが渦を巻いている。
悪いやつはいっぱいいて、悲劇は無限にそこにある。
でも、あまりそこを覗きすぎちゃダメなんだよな。
同時に忘れてもいけないけど。
何より、狂っちゃダメなんだ。
胃もたれくらいならしても良いけど。
そうやって生きていくしかないんだ。
死んだ友達のことを思い出しながら。
こうやって文章に残して、AIが文章を出してくれる世の中にちょっとだけ反撃を試みている。
そんな夜である。
今日はウインナーを焼いて納豆入りの味噌汁を作ったあと、少しだけ晩酌でもしようと思う。
最近は脂質の量をあまり気にしていない。
酒の量は減っているので、まあ良いだろう。
……多分。
*1:『禅マインド ビギナーズ・マインド』p.303

