心境変化のご報告
ブログが書けなくなったと言ったな。
アレは嘘だ。
……というのは嘘で、考えすぎていたのは本当。
だけど悩むことすらなんだかバカバカしくなってしまった。
ブログなどという一種の思考的排泄物は、書きたい人が書きたいように書き、読みたい人が読みたいように読む。
それだけの話だろう。
知ったことか。
グダグダ言ってる暇があるなら書け、そしてイ○ダ○ヤトの如く稼げ、そして高知に移住しろ。
そして東京に戻ってこい。
今の俺のブログ収益はエンジニアリングの売上の1/100以下だぞ。悲しいぞ。
もう体系的かどうかなんて前より気にしないことにした。
好きにさせていただく。
ということで、最近ずっと思っていたことを書きます。
悪いヤツより馬鹿の方が悪い(こともある)
僕は割と(共感できないことも多い、という前置き付きで) ホリエモンのファンであることを公言していて、以下の記事ではホリエモンについてかなり引用している。
一方、キングコング西野大大大御大閣下超先生に関しては、以下の記事で絶賛のエールを送っている。
……まぁ。
一時期は西野サンとか、まぁその辺りの「戦法」……
①的外れな炎上バンザイなことを言う
↓
②「俺は挑戦したから批判されてしまった」的なロジックにすり替える
↓
③信者を増やす
↓
①に戻る
という無限ループ、端的に「極めて不快」って血気盛んに批判してたわけだけど、最近は「まぁそれもファンの人らが楽しければいっか」くらいの考え方に変わってきた。
もちろん肯定はしないけど。
ちなみにホリエモンも上記の戦法を使ってる……ように見えて絶妙に使っていないってのが僕の解釈。
上記の戦法を使えるほど器用な人に、こんな美しい文章は書けない。
お前死んだ方がいいよ。肉の写真をアップしてるのはインスタで和牛を広めたいからってんの見てわからない? お前クソ?
「お前クソ?」は極めて美しい日本語として後世に広めていきたい。
多分僕は使わない。
閑話休題。
実は僕は上記の『バカとつき合うな』は読んでいない。
「へぇ〜世の中は周りが馬鹿に見える人がこんなにも多いんだねぇ〜大変だねぇ〜」的な感じで斜に構えて見ているし、それは今も変わらない。
第一、他人を馬鹿呼ばわりするのは大抵、馬鹿なのだ。
「バカっていうやつがバカなんだ!」という幼子の叫びは極めて本質的だ。
例えばホリエモンは、新幹線に乗っている時に「席を倒していいですか?」と聞いてくる人間を「自分の時間を奪ってくる人間」として蛇蝎のごとく嫌ってる。
どっちの本にも書いてるくらいには嫌ってる。
僕としては声をかけてくれると「丁寧な人だなー」と思いつつ、「みんなが勝手に倒すようになれば気楽なのになー」とも思うから、ホリエモンの発想もわかる。
だけど「声もかけずに席を倒すなんてバカだ!」という考えも、賛同するかどうかは別にして突飛な発想ではない。
確かなことは、良いオトナがそうそう他人をバカ呼ばわりなんてするもんじゃない、ってことだ。
ホリエモンみたいに怒りはその場で発散させてバカと叫ぶのもたまには悪くないかもしれない、だけどメリットよりデメリットのほうが多分、大きい。
結局のところバカなんて相対的なものだ。
以上。
ここまで、極めて当たり障りのない話。
ここから。
上記を全て踏まえた上で、「絶対的なバカ」について語らせてほしい。
賛同するかどうかは皆さん次第です。
「絶対的なバカ」、それは……
混雑している電車で奥にスペースが空いているにも関わらず入口付近に陣取る奴ら
はい、↑が全てです。
こいつらはバカです。
もう本物のバカです。
きっと脳みそが無いんですね。きっと。
こう言ってやりたい。「お前クソ?」と。
僕はもともと埼京線という日本最凶クラスの最低最悪路線沿線に住んでいた。
30分遅れはザラ、毎日満員御礼、時間通りに着けばびっくり。
そんな路線だった。
奥に詰めるのは当然だけれど、それでも奥の人間はやや甘える。
「もうひとり入れるじゃん!」っていう隙間を作ってしまう。
……まぁ、それは仕方ないかもしれない。
「キッチキチに詰めろ!!!」とは思うが、甘えてしまう気持ちは分かる。人間そこまで厳しくは生きられない。
一方。
最近、僕は東横線沿線に引っ越した。
家を出るのが遅くなったおかげでもあるが、混雑具合は滅茶苦茶マシになった。
さすが中目黒付近、草でも食わせておけばいい埼玉県民の住む埼京線沿線とは次元が違いますわ、オホホ。
一方。
「お前らクソ!!!!?????」
と叫びたくなるくらい、電車の入り口に渋滞ができる現象を何度か見かけた。
一番ひどいときには「こんなスペースがあったら人が住めるぞ!!??」と言いたくなるようなスペースができていた。
僕はこんなとき、迷うこと無く人混みを強引に押しのけて奥に入る。
もちろん「なんだこいつ?」的な感じの目線で見られる。
「周りは入り口の渋滞で我慢しているのに、一人他人を押しのけようが奥に入ろうとする僕」は、「悪いやつ」かもしれない。
一方、「入り口の渋滞にとどまることを甘んじて受け入れる」だったり、「そもそもその原因を作る」人間は、断言してもいい、「悪いやつ」ではない。
「奥に行きたいやつらの邪魔をしてやろう、俺が道を防いでやろう、ゲッヒッヒ」なんて思ってたら、そりゃ悪い奴だ。確実に、悪い奴だ。
だが朝の電車でそういった発想から奥に進まない奴はいないだろう。
じゃあ奴らはなんなんだ?
奴らは。
頭が悪いのだ。
とても頭が悪いのだ。
本当に、頭が悪いのだ。
可愛そうに。
きっと教育を受けてこなかったんだろうなぁ、
自分が一歩奥に進めば誰か他の人が楽になると、そういう発想が身につくような教育を受けられなかったんだろうなぁ。
かわいそうだなぁ、哀れだなぁ。
僕はそういう教育を受けていたのかとか、そういうのは別にして……
少なくとも僕は「悪人」だから、そして埼玉県で草食って生活していた人間だから、嫌な顔されてもグイッと押しのけて奥に入る。
結果何が生まれたか?
頭の悪い彼らに嫌な顔をされて、その結果……
一人分、誰かが電車に入るスペースが生まれるのだ。
これは世界にとっては悪か?善か?
少なくとも僕は、善だと思う。
僕の悪行によって、世界に善が生まれたのだ。不思議だなぁ。
「電車の奥のスペース」のこと
バカを徹底的にバカにしたかった、というのもあるのだけれど、長々語って一番語りたかったことは実はバカのバカさ加減ではなく……
「電車の奥のスペース」についてなのだ。
「悪意のないバカ」が全力で防いでいるそのスペース。
そこに入るには、「悪意のないバカ」に迷惑がられながら、ぐいっと入るしかない。
その結果、ぐいっと入った人間は快適なスペースに入れて、次に入ってきた人間にとっては「僕が甘んじて入口付近に囚われていたら消費されていたスペース」が与えられる。
これ、ものすごく世の中のメタファーに見えませんか?
僕はそういうことをずっと考えて、最近は確信に近付いている。
世の中そういったスペースまみれだ。
もちろん、「悪意のないバカ」の中には天才も秀才もいるだろう。
東大卒も経営者もいるかもしれない。
結局「悪意のないバカ」っていう概念も一種のメタファーで、これだけエラソーなことを書いてる僕も多分、なんらかの領域では「悪意のないバカ」に過ぎないのだっていうことに関しては、ちょっとした言い訳として書き留めておきたい。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた。
ずっとブログを読んでくれている皆様へ
改めまして、"Mistir"です。
改名するかもしれませんが、とりあえず今はMistirです。
ウジウジ考えてる期間が長くて、ブログにコメント頂いても全然返信できなくなってました。
今後は……頑張ります、多分……。
今後どうなるかわかりませんが引き続きよろしくお願いいたします。
ざっくばらんにメルマガみたいなノリで書こうと思ってるので。
余談:さらに近況
戻ったり入ったりしてるTwitterだけど、また戻ってきた。
そもそも絵とかアニメとか、そういった趣味から始めたTwitter。
未だに二次元のセクシュアルな絵がTLを埋め尽くし、暗いテーマが流れてくる。
一方で……
やっぱりなんやかんやブログ続けるなら必需品だよなぁ……フォローまた外してビジネス寄りのアカウントフォローするか……畜生マジでメンヘラ的なことしてんなぁ……
などと、ウジウジ考えている。
そういえば最近誰フォローしてたっけな……半月以上Twitter見てなかったしな……
どれどれ。
俺は頭が悪いのだ。
俺はとても頭が悪いのだ。
俺は本当に、頭が悪いのだ。
あばよ!