大人に憧れてるうちは子供なのか。
大人に憧れた瞬間、実は大人になってるのか。
大人のコンテンツを好きになった自分に気づいたとき、大人になってるのか。
大人のコンテンツを好きになった自分に気づいたとき、それはまだ子供の証拠なのか。
大人のコンテンツを好きになったことが子供を脱した証明で、それは大人になったことと同義なのか。
大人のコンテンツを好きになりながら、まだまだ自分はガキだと自嘲しているとき、それは大人の特権を享受しているのと同義なのか。
あるいは、大人なんてものはどこにもいないのか。
俺はガキだ、とそう思うことが大人の条件なのか。
まだ俺はガキだよ、と思うとき、それはもう十分老けちまってる証拠なのか。
そう思うがゆえに、俺はもう老いているのか。
自分が歳をとったことに絶望すること、まだガキであることに絶望することは矛盾しないのか。
結局俺は今、なんなんだ。どこにいるんだ。
そうやって悩みながら、今、28歳、色々あって、色々ありながら、生きてます。
と。
イエモンの『聖なる海とサンシャイン』を聞きながら考えてました。
何かをエラソーに語るためには、もう少しだけ時間がかかりそうです。
でも、語りたい気持ちは消えちゃいません。
またどこかでお会いしましょう。
ではまた。