こんにちは、Mistirです。
最近ずっと考えてるんだけど、心に炎がある間はずっと元気でいられるし、生きることに希望が持てるし、人は本当に「それだけでも」生きていける。
そりゃまぁ飯は必要だし金も必要だ。
だけどそんなものよりもずっとずっと大きい。
「心に燃える炎」って、言葉にすると臭いけど、人はそれが「全て」なんじゃないか。
僕らはそれを見逃しすぎたんじゃないか。
心の炎を絶やさないために、僕が考えていること。
少しだけ語りたい。
マンネリと心の炎
こんなことを急に言い出したのは、まぁ端的に言って最近人生がややマンネリ気味だからだ。
一応仕事も少なくとも当分は辞めないことに決めている。
いわば「待ち」のフェーズだ。
今、僕は何がしたいのかいまいちよくわからない。
趣味のバイクに救いを求めてはいるものの……
今までの「遥か遠い旅路」が「ちょっとしたご近所」くらいになってしまい、「遠くへの旅」を味わうためにはかなりの時間とお金を要するようになってきたという問題がある。
伊豆半島なんか、初めて行ったときは「途方もない遠くに来た」という感覚があったけど、今なら最短ルートが頭の中にきっちりインストールされているから、その気になれば思いつき程度のノリで行けてしまう。
仕事の方も、一進一退だ。まるで進んでいる気がしない。
人生にマンネリを覚えると、決まって昔のことを思い出す。
初めて友達とカラオケに行ったときの楽しさと、今それほど楽しく感じないということ。初めて居酒屋に入ったときの気持ちと、今仕事後に何も考えず居酒屋に入る気持ち。
びっくりするほどの、大きな差。
……まぁ。
そんなことは、「至極当然」のことで。
長い人生、どんどん新鮮なことがなくなっていく。
そんなことは本当に当たり前。
昔のことをわざわざ美化して思い出しても……それは。
「語っても何の意味もない、ただのノスタルジー」に過ぎない。
だから僕は語りたい。
「ただのノスタルジーを、ただのノスタルジーで終わらせないために」。
心の炎と資本主義
心の炎は、なんというか……資本主義そのものだ。
いきなり何を言い出すんだと思われるかもしれないが、これは自信を持って言える。
資本主義は、「欲望を無限に生み出し続けること」によってのみ成り立つ。
例えばiPhoneが生まれてスマホという「資本主義の産物」がこの世に降臨したわけだけど、もちろんiPhoneは生まれてそこで終了じゃない。
人は、もっと便利なスマホを欲しがった。
否。
「人がもっと便利なスマホを欲しがるように、『資本主義社会』は動かざるを得なかった」。
そして便利な、もっともっと便利なスマホがどんどん生まれた。
人はその波に乗った。
今。
「もっと便利なスマホ」がほぼ限界を迎えているというのは、誰もがうっすら感じていることではないだろうか。
ガラケーからスマホに移行した頃ほどの大きな変革かどうかはともかく、そろそろ何か「根本的な変化」が起こるだろうと僕は思ってる。
少し楽しみ。
……って何の話だっけ?
そうそう、心と資本主義の話だ。
人の心は、ひたすら「欲」を持っている。
「より新しいもの、良いもの、良い生活、新しい世界への欲」を。
「いやいや、死んだように現状キープを求めてる人もいるよ!」と反論されてしまうかもしれないが、要は程度の問題だ。
「ものすごく保守的」に見える人でも、新しい漫画を読んだりその程度はしているだろう。というか、そんな保守的に見える人ほど「ネット大好き」だったりする。
ネットは「新しいもの」を凝縮した果汁みたいなものだからね。
でも。
だんだんと、その「欲」が「満たされる」程度は……
人生のフェーズが進むにつれて、インフレしてくる。
小学生の頃は近所を歩くだけでも冒険だった。
それが自転車で遠くへ行くようになる。
気づいたら車で遠くに旅するようになった。
でもだんだん車で行ける範囲は行き尽くして物足りなくなってきた。
……なんてことは、ザラにある。
そんなとき、僕らは。
「じゃあ飛行機にでも乗ってみるか!」と暴力的なパワー……
要は「金の力」で、「欲を満たす」という感覚を心にぶち込むことができる。
その方法を選ばないとしたら。
「じゃあなんだかよくわからない林道にママチャリで入ってみよう」などと、「ハタから見てるとワケの分からない自己満足」に欲を見出すこともできる。
グダグダ大げさな言葉で語ったが、実は言いたいことはかなり単純だ。
「自分で自分を動かす力」≒「欲」、それを僕は「心の炎」と呼んでいる。
言い換えると、「心の炎」は「新しい何かへの欲望」によってのみ生まれる。
人は欲なしには動かない。これが僕の持論だ。
もちろん稀に「正義感」だけで動いたりする人もいるけど、それも「正義欲」とラベルを付けることもできる。
……まぁ、稀に「欲」でラベリングできないこともあったりするから、=じゃなくて≒を使ったんだけどね。
さて。
「新しい何かへの欲望」を駆動してくれるのは、お金か、そうでないならば……
なんだろうね?
「よくわからない林道にママチャリで入ってみよう」っていう欲は、どこから生まれるんだろう。好奇心と言ってしまえばそれで終わりだけど、その好奇心は何から生まれるんだろう。
まぁ、とにかく。
よくわからない「欲を生み出すエネルギー源」をまとめて「心の炎の燃料」と呼んでしまえば、なんとなくイメージはつくと思う。
で。
この「心の炎の燃料」に対する心の活動……
子供の頃は燃費が良いのだが、年を取るに連れて非常に燃費が悪くなっていく。
そんなとき。
僕らは「燃費の良い心」をキープするために心を鍛えるか、「燃料を絶やさず継ぎ足し続けるか」どちらかが必要になってくる。
あるいは、どちらも。
実はそれについてはしばらく考えないといけないと思ってて。
あまり深く語るつもりはない。
だから薄々気づいていることだけ列挙しよう。
今なんとなく気づいている、「心の燃費を悪化させるもの」を列挙してみよう。
- 睡眠時間の減少
- 運動不足
- 食生活の乱れ
- ダラダラしたネットサーフィン
- 政治ニュースの見過ぎ
- ゴシップ記事の読みすぎ
次に、「心の燃料を奪っていく要素」あるいは「心の燃料を劣化させる要因」を列挙してみよう。
- 特定のやり方や生き方をあざ笑う人たち
- 「このままじゃダメになる」と不安を押し付けてくる情報群
- 「こうしなきゃダメ」と方法を押し付けるあらゆるもの
- ネット、現実を問わず、青臭いものを冷笑する人
- 悪口。妬み。
…………。
なんだこの記事は!?
おおよそ僕の文章らしくない。
説教じゃないんだから……
……でも。
それでも、「心をしなやかに燃費良く保っておく方法」「心に注がれる燃料の質を落とさない方法」って……
真剣に考えると、結局はこういうところになっちゃうんだよなぁ……
とりあえず。
心の強さが全ての漫画、『鬼滅の刃』を読みましょう。
お粗末!
お読み頂き、ありがとうございました。
ではまた。