こんにちは、Mistirです。
ネットやTwitterにどっぷり依存して長いことが経ちましたが、
「長い本を読めなくなった」
「2時間以上の映画はツライ」
など色んな弊害が生まれてます。
「SNSでもインターネットでも、情報の速度が物凄く速くなった」というのはよく言われている話。
だからそんな「時代」の傾向として、僕も「手速い」情報を求めている。
だから本を読めなくなった……
という説明でなんとなく納得していたんですが。
「もしかすると、それは説明の半分に過ぎないんじゃないか」
という仮説が僕の中で生まれました。
もしかすると、Twitterが、ネットが、まとめサイトが……
「知識欲」をダイレクトに減衰させているのではないか、という仮説です。
「欲」を満たすこと
「欲」って言葉は案外難しい。
斎藤環は『生き延びるためのラカン』で、精神分析家ラカンの語る「欲求」と「欲望」の違いについて、以下のように語っている。
……と書くと、凄く難しいことを言おうとしてるみたいだけど、別にそんな難しい話じゃないから、少し長くなるけど読んで欲しい。
欲望と欲求のちがいを考えるうえで、ここでは「性欲」を例にとろう。動物の性欲は「発情期」という言葉があるように、タイマー付きのプログラムとして遺伝子に書き込まれている。発情期に異性と出会ったら、どんなふうに誘惑し、どんなふうに性行為に及ぶかが、はっきりとパターンとして定まっている。だから、性行為は完全な満足で終わるわけだし、発情期以外には性欲そのものが湧いてこない。ちなみに動物でも、発情期がなくて年中交尾してる「ボノボ」って猿みたいな例外もある。要するにいつでも発情期ってことだ。なんでもボノボは、遺伝的にはチンパンジーよりも人間に近いらしいんだけどね。
さて、人間はどうか。まず人間は年中発情期ですね。これを否定する人はいまい。成功地の知識は先輩とかAVなどによって学習されますね。異性との出会いから成功に至るまでのパターンは「恋愛」の名のもとにきわめて複雑でしちめんどうくさい洗練をとげています。そして、性行為。ここにもいろんなパターンがあるけど、共通していることは、人間が性行為によって完全に満足することがありえないということ。
よく、猿にオナニーを教えたら死ぬまでやり続ける、と言われる。これ、僕はホントか嘘かはよく知らない。でも、こういう言い方は、すごく精神分析的な意味で、人間を特権科しているんだね。この言い方にはもちろん、その裏側に「人間はオナニーを死ぬまで続けるなんてことはしない。サルってバカだね」という暗黙の合意があるわけだ。
それでは、なぜ人間はオナニーし続けることができないか。男性を例にとるなら、射精の後で虚脱するからだ。この射精後の空虚感は、三十年くらい前なら罪悪感で説明できた。なにしろオナニー害悪説は根強かったし、そもそも昔は「自とく(※ブログ筆者注:涜の旧字)」って言ってたんだからね。さすがに今は害悪説のような「迷信」は来たけど、それでも射精後の虚脱感は変わらず存在する。僕の考えでは、この空虚感こそが、欲望本来の空虚感なんだ。射精によって欲望の生理的側面が満たされたかに錯覚するわずかな時間だけ、オトコたちは性欲の本質的な虚しさを、ほんの少しかいま見ているってわけだ。(p.22-23、強調はブログ筆者によるもの)
いやー、関係ない話だけど、やっぱ斎藤環、文章すっげえわ……
引用で打ち込んでるだけでも「この人の文章凄いな」ってなるもん。
よくこんなややこしいテーマを軽快に分かりやすく、無駄なく書けるものだと思う。
Mistirの心の師匠です。
話を戻します。
「欲望」は満たされることがない。
でも、その「生理的側面が満たされたかに思われる僅かな時間」は存在する。
これは性欲で例えるのが分かりやすいけど、食欲でも言い換えられる。
「食欲を満たす」って言う時、「食欲という『欲望』が満たされる」ことはまずあり得ない。
食事をすることで一瞬「食欲」の生理的側面は満たされるけど、食そのものでの「満足」は一瞬のもので、いずれまた「食欲」という「尽きぬ欲望」に襲われる。
「性欲」の例えが「食欲」よりも分かりやすいとするならば、オナニーの虚脱感は食と比べて一瞬でやってくるから、よりダイレクトに「欲望本来の空虚感」を味わえるというところだろうか。
※男性特有?
さて。
話を「知識欲」にシフトしよう。
※さきほどラカン的な「欲望」と「欲求」の違いについて軽く触れたけど、厳密に踏み込むとヤケドするので、ここからはあまりこだわらずに使います。
例えば三大欲求は「食欲」「睡眠欲」「性欲」と呼ばれるけど、その中に「知識欲」は含まれない。
が、この欲が非常に強烈な欲であることは語るまでもないだろう。
人がネット上なり、映画なり、本なり、何かしらのコンテンツに触れたいとするならば、それは全て「知識欲」に駆動された欲だ。
「知りたい」という欲こそが、あらゆる学術的研究の原動力と言っても過言じゃない。
で。
インターネットは「知識欲」が強い人間にとって楽園みたいなものだ。
無限に有象無象の「知」が湧きだす泉。
まぁその分有象無象の「無知」も存在するわけだけど、今回は「知識を選び取る難しさ」みたいなものについて語る気はないので、スルーします。
「知識欲」は、ネットで「手軽に」満たせる。
……このことを否定する人はいないでしょう。
……でも同時に。
……「手軽に」満たした「性欲」が何を産み出すか。
さて、議論はそろそろ核心に迫ります。
「欲」を駆動せよ
どえらく卑俗な話ですが、オナニーライフが充実したトコロで「欲求不満」は募ります。あまりにも卑俗ですが、正直一番わかりやすい。
「欲求不満」って言葉自体に性的なニュアンスがあるし。
でも、一応他の例えもできる。
「睡眠欲」を満たすためには、適当な1時間の仮眠を8回繰り返すより、完璧なコンディションで8時間睡眠を取ったほうが良い。
下手に仮眠を取ってしまうと、夜熟睡できない。
「食欲」を満たすためには、適当に何度も不味いものを食べるより、空腹状態で焼肉を食べたほうが良い。
下手にジャンキーなお菓子ばかり食べてしまうと、夜の焼肉が食べられない。
「知識欲」のレイヤーが仮に「三大欲求」のレイヤーと別のところに位置していたとしても、これは全く変わらないと思う。
「手軽な情報ばかり摂取して、一時的に『満たされ』てしまうことが、大いなる『欲求不満』を招く」。
さっき例えたのと全く同じで、ジャンクフードばかり食べてると、夜の焼肉が食べられなくなってしまうのです。
実際に、試してみました。
「しばらくTwitterを見てはいけない。ネットサーフィンもしてはいけない」。
そんなルールを自分に課したら、どうなったか。
まず早速禁断症状。
つい、Twitterのタイムラインを除きたくなる。我慢。
その後、数分も経たず本が読みたくなりました。
おお……って感じでしたね。
「ネット依存」「SNS依存」って、「人と繋がりたい欲求が〜」「承認欲求が〜」云々の文脈で語られることが多かったけど、それは「半分」しか語っていないと、今なら思う。
僕の場合は。
そう、僕は。
「情報ジャンキー」だったんだ。
いわば、そこにある「コンビニのお菓子」を片っ端から延々と食べ続けるデブ。
それが僕だ。
オカンから「もうアンタ、今日の晩焼肉やのにそんなお菓子ばっかり食べて、食べられへんようになるで!!!!」と言われながらもお菓子を貪り続け、結局焼肉が食べられなくなってしまう「お菓子ジャンキー」。
その「情報版」こそが、僕だ。
ごく稀に、ギャル曽根のように「いくら食べてもまだ食べられる」っていう人がいるように、「ネットで幾ら情報を得ようが足りなくて、本も物凄く読む」っていう人もいるかもしれない。
でも、そんな人稀だと思う。
大抵の人は「手軽に充足された欲望」が邪魔になって(疲れて)、大事な情報(長い映画や長くて難しい本)に手が伸びなくなってしまってるのではないだろうか。
下手に仮眠を取ってしまうと、夜眠れなくなるように。
じゃあどうすりゃいいかって言うと、仮眠を取ることを我慢するしかない。
そう。
「知識欲を枯れさせず、複雑な知識を得るためには、手軽に摂取できる知識を意図的に『シャットアウト』するしかない」。
それが僕の辿り着いた結論です。
……って言ってもなぁ。
ホントにTwitterもネットも……
やめられないとまらない。
カ◯ビーかっぱ◯びせん。
ってことで、やっぱりそれは「治療」するしかないのだろうね。
「ネット見たくなったら映画観る」とか。
「手軽じゃない」情報に、意図的に身体を晒すこと。
そして、「『欲』を『駆動』せよ」。
高校の頃、僕は図書館に入荷された新しい本を制覇する勢いで本を読んでた。
その頃くらいの意志を取り戻したい。
全てをTwitterやネットのせいにするのは短絡的だから、その気はないんだけど、少なくとも自分は凄く影響を受けてる気がする。
どうせTwitterから離れるのは無理だから、気楽に「情報のシャットアウト」を試そうかと思ってます……
お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事で。