少し前、とても高い腕時計を買った。
そんな感じなので筆者は節約が得意な方ではない。
まあただ一方で、そこまで金遣いが荒いわけでもないかなという気がしている。
今筆者は東京近郊、バイク駐輪場付き家賃7万円の家で一人暮らしをしている。
とても快適で気に入っている。
今日はニチレイの冷凍とんかつをチンして、ヒガシマルのうどんスープで玉ねぎを煮込んでカツ丼を作り、大根の味噌汁を飲んだ。味噌は無添加である。
美味かった。
筋トレはしているし身体も絞りたいのだが、あまり食にはストイックにならないようにしようと思っている。
冷凍とんかつは2個で脂質17g程度である。
セーフと言い張ればセーフである。
そしてfhánaのベストアルバムを聴きながらコーヒーを飲み、仏教関連の本を読んでいた。
なんでもない日だ。
けれど、本当にそれが尊いものなんだなと最近思う。
お金のこと
周囲にお金のトラブルに巻き込まれる人が結構いる。
自業自得でない場合もあるけれど、今回は各々のイメージする「自業自得のトラブル」を想像しながらお読み頂きたい。
トラブルレベル1くらいの人もいれば1億を突破するくらいヤバい人もいる。
もちろん前者であれば生活には影響しないかあるいは軽微だが、後者はもう「普通の生活」への帰還すら危うい。
僕は心底、今「普通の生活」それ自体を、まあ大満足ではないにせよ、それなりに満足できるようになっていて良かったなぁ、と……そう、周囲を見ていて思うのだ。
もちろんこの感覚は「高級腕時計がなんとか買えるくらい」の預金があるからこそ成り立っているんだろう、という指摘は真っ当なものだと思うし、僕も心底そうだと思う。
「普通の生活が一番」なんて言うやつは大抵お金があるやつだ。
本当にそうだと思う。
上京して年収350万円くらいでヒーヒー言ってた頃や、預金残高10万円で仕事を辞めた頃のことを忘れたわけではない。
その頃に抱いていた金のあるやつに対する僻みのような感情も、もちろん忘れていない。
ただ、僕の知る最悪のパターンの場合、その当事者は別に収入が少なくてヒーヒー言っていたわけではなかった。
つまり何が言いたいかと言うと……
「お金の魔」みたいなのに魅入られないようにするために、ある程度の金銭的余裕は一定程度役には立つが、一方で金銭的余裕があろうがなかろうが、人はなんらかの機会に「お金の魔」に魅入られてしまうのである。
米津玄師とゴーストオブツシマ
ところで、現人神である米津玄師はゴーストオブツシマにハマっていたらしい。
ゴーストオブツシマは筆者もプレイしたが神ゲーだった。
で、現人神である米津玄師より稼いでいる人となると、日本のサラリーマンにはそうそういないだろう。
けれど、ここで大事なのは米津玄師がプレイしているのは「通常の1万倍面白いゴーストオブツシマ」ではないのだ。
数千円で買える普通のゴーストオブツシマなのだ。
そこに年収は関係ない。
預金残高も関係ない。
資本主義の功罪の功の部分だ。
金持ちが飲むコカ・コーラも、貧乏人が飲むコカ・コーラも、一切そこに変わりはない。
ウォーホルがスープ缶を淡々とコピペのように描いたのも、資本主義の功罪の「功」の部分も「罪」の部分も淡々と冷ややかに描いたものだと筆者は解釈している。
少し話がズレたが……
現代の資本主義は功罪はあれど、良いところを享受すれば「それなりの穏やかな生活」は比較的得やすいのではないか、という気もしているのだ。
にも関わらず、一定数の人たちが「お金の魔に魅入られて」しまう。
それは何故か。
私見だが、「普通の生活に満足できないからそうなる」ではない気がしている。
順序が逆だ。
きっかけは何であれ、お金の魔に魅入られてしまうから普通の生活に満足できないのだ。
つまり、前提である「なぜお金の魔に魅入られるのか」に明確な答えはないというのが筆者の私見である。
……こういったことを語っていて、自分がかつて蛇蝎のごとく嫌っていた「自分は海外で高級料理を食べているのに『日本はもっと貧乏になって良い』と放言する大学教授」みたいなものに自分が近付いているような気がして非常に嫌なのだが、少し弁明させて欲しい。
多分、僕も彼も「魔に魅入られたやつ」とか「魔に魅入られているかどうかギリギリのラインでやべー生活をしている人たち」を見過ぎたんじゃないかと思うのだ。
そのせいで実は自分がそれなりの贅沢をできていることに気付かなくなっていく。
また、そんな大学教授とは違って僕は別に「もっと貧乏になれ」とか「現状で満足しろ」とか言いたいわけじゃない。
ただ……
お金のことで狂っちゃった人たち、金銭感覚が壊れたせいで取り返しがつかないことをしでかしちゃった人たち、そんな人に思いを馳せて……
シンプルに。
「怖いなぁ」と。
そう思っているだけだ。
普通であり、普通でなく
『クレヨンしんちゃん』の野原一家の暮らしが「勝ち組」だと言われるようになってからかなり久しい。
今野原ひろしと同じ生活水準の人間がX(旧Twitter)*1で「俺みたいな普通の人生」と言おうものなら大炎上である。クソみたいだなと思うが事実リアリティがある。
でも、じゃあ「普通」ってなんだろうか。
基準が人によって千差万別だから「これが普通」なんてもんは無い、っていうのが答えになるだろうけれど。
逆説的だけれど「魔に魅入られていない」ことが「普通」の基準なのかもしれない。
「魔」とは何か。
そこにも基準はない。
けれど、実際のところ「普通」の基準について考えるよりは「魔」の基準について考える方がよっぽどイージーだと思う。
「魔に魅入られた人」「そして『普通の生活』ができなくなった人」を想像して欲しい。
自分はそうなってはいないか?
もしかすると……
そんなことを考えながら、僕は今日も2000円を握りしめ、鳥貴族へ向かうのだ。
あるいはサイゼリヤである。
近所のサイゼリヤが最近23時まで営業するようになった。
とても嬉しい。
最後に
魔除けを貼っておく。
これを読むと魔もドン引きする逃げる。
お読み頂きありがとうございました。
ではまた。
*1:クソみたいな注釈だなと思う