こんにちは、Mistirです。
ぼちぼち僕も25歳の誕生日。
社会人3年目で色々と考えてるんだけど……
なんだか、この歳にして日本のことに、世の中のことに関心が持てなくなってきてる。
それくらい日々が大変だって言ったらそれまでなんだけど、それは二次的な理由に過ぎなくて、本当はもっと別の理由。
世の中に無関心になることは世界に無関心であることとは根本的に違う。
僕はまだまだ世界のことを知りたい。
でも、なんというか。
俗に言う「世論」みたいなものに、僕は心が動かなくなってしまった。
……いや、それも厳密に言えば違う。
「心が動かなくなった」んじゃない。
「心を動かさないようにしている」のだ。
カメレオンが周囲の色に溶け込むように。
深海魚が海底の砂に紛れるように。
僕の心は世間の方を向かないように、意識的に「留められて」いる。
そんなお話。
社会問題に、もう向き合いたくない
僕のブログは語りたいことを語りたいように語っている。
生き方みたいな大きなテーマを語ることもあれば、政治的な問題について語ることもあったり、あとTwitterの一部では「魚が放流されるとブログを書く人」って呼ばれたりしている。間違ってないから困る。
「人より少しだけ詳しい分、せっかくだから語ろう」
……という気持ち。
今後も「人よりも詳しい分、せっかくだから自分が語ったほうが良い」って思ったことについては語っていきたいと思っている。
例えばこの記事なんか凄く多くの人に読んで頂いたのだけど
当時他でもない自分が語れたことが、世間の需要に噛み合った稀有な例だったように思う。でも、ここまで上手く世間の需要と僕が語りたいことと社会問題(?)が噛み合うことはあまりない。
僕は作品分析技法とか、魚のこととか、バイクのことにはある程度詳しい。
でも。
詳しくないことの方が、当たり前だけど圧倒的に多い。
そんなことについて……「考えるだけ面倒だ」って思っている。
例えば。
最近、あるツイートを見た。
ポスドクで時給910円って本当頭おかしいんじゃないかって思う. pic.twitter.com/sjHfv5wL0C
— Ham (@hamkhsutus) 2017年8月13日
なんというか、本当に「頭おかしい」。
しっかり勉強して、しっかり英語のスキルなんかも身につけた高度な人材が、この程度の価値しか付けられない。
はっきり言って愚かしい。
国外に引き抜かれて当然だ。
……「これだから日本はダメなのだ」。
……と、まあ。
これまでならなんだか色々言いたくなってたとは思うんだけど。
最近はもう、どうでもよくなってきたのだ。
「解決できないことを語って、どうなるのだ?」
企業サイドに賃金のアップを要請する?
……僕が?
何の意味があるの?
企業が応じる可能性が0.1%でもある?
はっきり言って、錦鯉や金魚放流についての記事を書いたときは「世論を動かさねば」くらいの勢いで書いた。錦鯉や金魚が放流される問題については、詳しくは僕の書いた記事を読んで頂きたいんだけど、対策はわりと簡単だ。
地方行政側がイベントを中止すればいい。
僕は一つの主張として「中止すべきだ」という立場で語った。
もし僕の主張が無茶な主張なら、行政側が「いや、中止しない理由は〜」と語ればいいだけの話だ。
だから、僕は僕の立場として、僕が主張すべきだと思ったことを主張した。
でも、この件は?
ポスドクの時給が910円であることについて、僕が語ってどうなる?
多分……どうにもならない。
僕はネットの影響で企業や政治が動いた例は何度も見ているから、もしかすると僕が語ることで世論に何かごくわずかでも影響があるかもしれない。
でも。
なんだかもう、「意味が無いな」と思えてしまったのだ。
批判があることを覚悟で言うと。
僕は今、
「910円で買い叩かれるくらいなら、どんどん海外に引き抜かれればいいわ。そのためにどこでも生きていけるようなたくましさ身につけたほうがいいと思う。正直、本当にどうにもならないくらい人材が流出してからじゃないと、どうにもならないんじゃないっすかね。うなぎと同じっすよ。絶滅して初めて慌て始めるんです」
と心底思っている。
そう冷たく距離を置く方が、少なくとも今は性に合ってる。
なんというか。
視線の位置が「マクロ視点」から、「個人としてこれからどう生きるか」という「ミクロ視点」にシフトチェンジしてしまったのを感じている。
個人としてどう「生き延びるか」という生存戦略。
日本の企業に対する怒りとか、呆れとか。
なんというか、そういうこと抱えるために必要な「心のリソース」が極めて勿体無いことのように思えてきたのだ。
これは政治問題もそう。
例えば某国がポコポコとミサイルを発射してる現状でもなお、何故か……
物凄く控えめな言い方をすると「脳みそお花畑」なことを言ってる人がたくさんいるけど……
「そういう人たちに対する心の動き」が「本当に勿体無い」と最近思うのだ。
逆に、その反対のことを主張しようとすらもう思わない。
「そんなしょうもない人相手に動くなよ、僕の心」。
僕は僕の心に、そう言い聞かせる。
そんなことに、僕は心を動かしたくないのだ。
面倒だ。
そんな暇があったら、僕はバイクで遠くに出かける。
限界集落と呼ばれるような過疎地に行く。
観光地に行く。
博物館に行く。
科学館に行く。
ダムに行く。
歴史を学ぶ。歴史から学ぶ。
偉大なる建築から学ぶ。
旅先で出会った人から学ぶ。
その時間に心を動かしたい。
……でも。
それでもあえて言うとするならば。
ここまで思わせられてしまう世の中って一体何なんだろうな、と。
「能動的に無関心、あるいは無関心に対して能動的でなければ、心がすり減らされてしまうような」俗世間って一体何なんだろうな。
世間では今日も、芸人の不倫がニュースになっている。
それで楽しめるような、怒れるような、そんな人々が少しだけ羨ましい。
……そんな風に、皮肉の一つくらいは言いたくなる。
お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事で。