Midnight Note

明日はどこまで行こうか。どこまで行けるだろうか。

生きてることが恥ずかしくなる発作

こんにちは、Mistirです。

たまに発作が起こる。
生きててごめん、という発作。

過去の失敗や恥ずかしいことを思い出して、生きることそのものが恥ずかしくなることもあれば、もっと理由が曖昧なものもある。

それは一人でいる時に、強烈に、急にやってくる。
部屋で一人でいるときだったり、バイクの上だったり。
特にバイクの上は多い。自分自身と向き合ってる時間だからだろうか。

それが最近多すぎて、だんだんバイクに乗ることが辛くなってきている。

少し大げさに言えば、生きることそのものが申し訳なくなってくることがあるのだ。
誰に対して、というわけではないのだけれど。

思うに僕は、「自分の人生に対する潔癖症」なのかもしれない。

わりと部屋が汚いのは耐えられる。
だけど、自分が惨めであることには猛烈に拒否反応を示してしまう。
そして自分を客観的に眺める。
客観的に眺めて、「まだ大丈夫」という要素を並べて、……少し安心した後に。
「大丈夫じゃない要素」をふと見出してしまって。
絶望的な気分になって。

多分、僕の場合「惨め」の判定基準が……
極めて低いのだ。

……はぁ……
疲れた。

でもまぁ、そもそも生きるってとても汚いものなのだ。
元々、自分は高潔な人間ってわけでもない。むしろただの下衆だ。

そんなに世の中高潔な人間が多いわけでもなく、誰しもが「恥の多い」自分自身と向き合って生きている筈なのだ。

惨めさを感じる、その時点でもしかするとおこがましいことなのかもしれない。

恥をかかずに済む方法は、結局、何もしないことだ。
何もせず、誰とも関わらずにいることだ。
そこには失敗も恥もない。
けれども前進もない。

……僕は、どうだろう。
恥の代わりに、せめて前進できているのだろうか。
何を代償として、何を得たのだろうか。

いつか理解る日が、来るのだろうか。

お読み頂き、ありがとうございました。
ではまた次の記事で。