Midnight Note

明日はどこまで行こうか。どこまで行けるだろうか。

「納車しました」は正しい日本語なのか

こんにちは、Mistirです。

僕はTwitterでバイクのオーナーさんをたくさんフォローしているのだけれど、どうやら車・バイク界隈でにわかに賑わっている話題があるようだ。

「納車しました」が正しい日本語なのか否か、という問題だ。

一部の過激派(?) は決してこの日本語を許さず、なんというか……
「納車警察」と言っても差し支えないような方々も存在する。

色々考えた結果、文法的にこの日本語は結構面白いってことが分かった。
ちょっとだけ語ろう。

 

 

「納車しました」を許さない人

僕が「納車した」について真剣に考えたのは、このツイートがきっかけだ。
引用しよう。

いわゆる「有名人」「言論人」以外のツイートを引用するのは、あたかも晒し上げるようで気が引けるので最後まで引用するか悩んだのだけれど、ご本人が

ここまで言ってるので「まぁいっか♪」という結論に至った。

僕は最初のツイートを読んで「納車しました」と言ってはいけない理由がサッパリ理解できなかった。
3回くらい読んで、なんとなく分かった。

結論から言えば、
"中丸 翼(本物)@納車しますよwww" 氏の指摘は、誤りである。
というより、ごく感覚的には理解されているのだと思うが、体系的に or 本質的に理解されてはいないのだと思う。
そのため異様な言葉足らずを生じている。

と、ここまで言うのであるからには根拠を示そう。

英語から考える

問題点は以下の通り。

1.「納車しました」を "車のオーナー" が言うのは正しいのか
2.「髪を切った」「家を建てた」は正しいのに、「納車した」が誤りと言えるのは何故か

この二点。
中丸 翼(本物)@納車しますよwww氏(以下ww氏) の指摘は主に2番を立証するものなのだけれど、これがまるっきり誤り……というか、著しい言葉不足 + 言葉の厳密性の著しい不足を生じている。
つまり、何も言っていないに等しい。

逆に言えば、一番の「『納車しました』を "車のオーナー" が言うのは正しいのか」に関しては「文法的、日本語的には不自然」と言えそうだ。
が、僕は「納車しました」とSNSユーザーが言うことについては必然的な理由があるように思っている。それは後々語ろう。

日本語の問題だけれど、早速英語から考えようと思う。
その方がこの件は明らかに理解しやすい。

SVOO、あるいはSVO1O2、あるいは第4文型と聞いてピンとくるだろうか?
僕は「人にモノを構文」と勝手に呼んでいた。
忘れていても問題ありません、例示しながら語ります。

例えば以下の例文

I will send a letter to you.

「私はあなたに手紙を送ります」ですね。

これを「人にモノを構文」で書き換えると以下の通りになる。

I will send you a letter.

意味は同じ。toを使わなくて済む。

この場合、SVO1(目的語1)O2(目的語2)で言えば、O1が"you" 、 O2が "a letter" となる。
O1は「人に」の部分、O2が「モノを」の部分だ。

で。

「髪を切る」をちょっと強引な言い方として
「私のために美容師が髪を切る」と言い換えようか。……強引だけど。

整理しよう。
この場合、

  • 主語:美容師
  • 「人に」:私
  • 「モノを」:髪

となる。

さて、次は「家を建てる」だ。

  • 主語:大工さん(?)
  • 「人に」:私
  • 「モノを」:家

ただ、日本語でこの2つの例の場合、「~に」の部分が強調されることはまずない。
もっと言えばこの2つは英訳したときに第4文型で書けない。

英語で訳すとすると、"to" ではなく "for" で訳すパターンだ。
大学受験を経た方は多分苦労したところだと思う。

SVOOをSVOに書き換えるとき、"一人でも成立しうる行為"はforを使い、"相手がいないと成立し得ない行為" はtoを使う。
あるいは「ある二人の間での伝達を伴う行為」にはtoを使う、と言ったほうが良いかもしれない。

例えば "buy" は以下のように使う。

I bought a car for you.(君のために車を買ったよ)

I bought you a car.(上に同じ)

買う、という行為そのものは一人でも出来る。
そのためforが使われるわけだ。

つまるところ、ww氏の言っている「家を建てるのは自分でもできる」というのは、

「家を建てるのは相手が存在していなくてもできる」

の誤りだ。
じゃあ逆に「相手が存在しなければできない行為」ってなんだろう?

例えばさっきの「送る」だが、送る人と送る相手が最低2人いなければ成立し得ない。
自分で自分に送ることも出来るが、その場合は普通明示される。

自分にプレゼントを送る

の「自分に」を省略すると、意味が通じなくなってしまう。


……で、だ。

「納車する」は、少なくとも辞書の意味だと上記「送る」などと同じ類の言葉で、「二人以上いないと本来成立しない」言葉なのだ。

簡単な話、「納品」で例えてみればいい。

Aさん「私にドラゴンの首飾りを納品してくれ」
Bさん「かしこまりました。すぐに納品いたします」
Aさん「やるやんけ。呟いたろっと……『ドラゴンの首飾り納品しました』っと」
Bさん「は?」

こう書くと、一部の人が「納車しました」という表現に嫌悪感を及ぼす理由がなんとなく伝わったのではないか。

つまるところ、

「二人以上必要な行為(英語で "to" を使う動詞で表される行為)」を表現する場合、toの後に来るものを主語にすることはできない


という、気づきにくいながらも当然な、強烈なルールが存在する。

「オバマ大統領がトランプ大統領に手紙を送った」場合、トランプ大統領がもし主語を消して「手紙を送った」とTwitterで呟いていたとしたら。
それは確かに違和感があるだろう。
もう一度言うが、このルールは結構強烈なのだ。

とはいえ

「納品しました」っていう言葉を日常会話で使う人が少ないように、「納車しました」も日常的に使う言葉ではない。「納品しました」よりも頻度は少ないだろう。

ツイッター上で大体の人は「納品」と異なるニュアンスで「納車」を使っていると僕は思っている。

つまるところ、
「私が『自分に』or『自分の車庫に』車を『納めました』」の意味で使っているのではないだろうか。

誤用と言えば誤用だけど、言葉はそもそも生き物。

見方を変えて、Twitterで「納車しました」という言葉が使われる経緯に思いを馳せてみよう。

「車を買いました」、……いつ手元に来るの?
「車を手に入れました」、……もしかして貰ったの?それと今手元にあるの?
「車を契約しました」、……いつから乗れるの?

……と、「車を契約し、かつ手元に来た」状態を表す的確な言葉が存在しないわけだ。
そう、「納車(された)」を除いては。

だが、車ファン・バイクファンのSNSユーザーにとって、愛車が手元に来たその瞬間をSNSで呟かないなんてことは……あり得ないよね。
そこで写真とともに添えられる一言が、

「納車しました」


となった。……特にエビデンスがあるわけではないけれど、決して的はずれな指摘ではないと思う。

つまりこの言葉はお祭り騒ぎの、最高の瞬間に添える一言なのだ。
間違いを指摘するのは結構だけど、その瞬間は笑顔で祝福してあげてほしいものだ。

ww氏には
「業界人であるならば業界を是非盛り上げて頂きたい」 
という期待、そして
「是非とも業界のイメージを上げて頂きたい」
という期待を誠に勝手ながらここに提示し、この記事はシメさせていただこう。

……あっ、忘れてた(棒読み)

バイク業界に貢献しよう。

お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。