こんにちは、Mistirです。
心が少し乱れているので、結論も持たず、語りたいことを語ろうと思う。
「現実が物語を超えていく」。
物語は、喜劇だけじゃない。悲劇も、もちろんある。
ここのところ。
時代の偶然か、必然なのか。
僕が思うに。
「物語より物語じみた」事件ばかり起こっている。
「そういった事件ばかりが盛り上がるだけだ」と、そうも言えるかもしれない。
けれど……まぁ。
とにかく、僕が脚本家なら「ベタすぎて却下したくなるような」そんな事件ばかり起こっている。
話は急に変わるけれど、最近『東京タラレバ娘』を読んだ。
有名な作品だし、僕が語ることもないかもしれない。
が、念のためあらすじ。
あの時彼がもう少しセンスが良かったらプロポーズを受けていたのに(倫子談)。バンドマンの彼がもう少し芽が出る可能性があったら'(香談)'。こうしていたら……、ああすれば……、高い理想を掲げて根拠もなく仮定の話を積み上げているうちに、気が付けば独身のまま33歳になっていた。
脚本家の鎌田倫子は、恋も仕事も上手くいかず、高校時代からの親友である香、小雪と焦りながらも「女子会」を繰り返す日々を送っていた。そんな話ばかりしていると、突然、金髪の美青年に「このタラレバ女!」と言い放たれてしまう。
いつのまにか金髪の美青年はいつもの飲み屋「呑んべえ」の常連となり、倫子たちと何かしら関わってくる。
滅茶苦茶シニカルに現実を見据えながら、エンタメとしてのラインは守っていく作者に戦慄するんだけど……
僕がこれを読んで思ったのは、どこまでもこの作品が「現実的」だってことだった。
そりゃ、金髪のモデルとお知り合いになったり、エンタメとして「フィクション」の成分はガッと入ってるけど……
作品は途方もなく現実的だ。
何が現実的か?
婚期に焦る女性の描写が現実的だと、男である僕が言うのか?
そんなもの僕は分かるとは言えないけれど、よーくわかったことがひとつある。
「タラレバ娘」たちは、結局のところ……
「ごく普通の」欲望に、とても正直だ。
そして「普通の」欲望に振り回されて、不幸になったり、時に幸せになったりする。
付き合うなら、冴えない男じゃなく、イケメンがいい。
当たり前だ。
金を持ってる男がいい。
当たり前だ。
妥協はしたくない。
当たり前だ。
全てが、当たり前だ。
男に置き換えたっていい。
かのT.M.Revolution、西川貴教のアニキも「どうせなら街くらい綺麗な子と歩きたい」って言ってるし。
だけどこの「当たり前」っていう考え方は……
大なり小なり、社会なり他人なりに抑圧されてるものだ。
「ポリコレ」なんていう言葉を出すまでもない。
「物語」は、そんな「当たり前」を救ってくれる役割もある。
なんやかんや言っても、君ら美少女に囲まれたいやろ?
そんなもんそんなもん。
それでええねん。
……それでええ。それはそれでええ。
が。
この辺りで話を戻そう。
「現実が、物語を超えていく」。
言い換えると。
現実が一番虚構じみている。
少なくとも、ここ最近僕はそう思うことが増えた。
はっきり言ってしまって、こんなことを考えた最大のきっかけは……
川崎の事件と、元事務次官が息子を殺した事件だ。
特に後者について、僕はこんなツイートを残した。
「川崎の件を見て息子が殺人犯になることを危惧した」は、決して言葉通り受け取っちゃダメで……もちろん、本人は確実にそう「信じて」いるのだろうけど……せき止められていた「殺意」のダムが「奇跡的なタイミングで」落ちてきた「大義名分」で破壊された、と考える方が人の心理としては自然な流れ。
— Mistir (@mistclast) 2019年6月3日
「奇跡的なタイミングで、殺意を『ごく僅かでも』『肯定してくれる』大義名分に『出会ってしまった』」。
— Mistir (@mistclast) 2019年6月3日
そう解釈するのなら……第三者たる僕らは、絶対に、絶対に、その「奇跡的に落ちてきた」大義名分を、肯定しては、ならない。
僕は以上の立場だ。
だから、その「立場」からすれば、わずかでも元事務次官を肯定することができない。
だが。その立場を前提としても。
偶然……殺された被害者のツイートと、その反応をたまたま、読んでしまって。
これはここに載せたくないから、もし読みたければ各自自己責任で調べて頂きたいのだけれど……
あまりにも。
あまりにも出来すぎた「物語」がそこにあって。
僕は、それに激しく嫌悪した。
「物語」じみた現実に。
その現実を、「物語」として一瞬でも受容しようとした自分自身に。
そうすることが楽だと、そう思った自分に。
物語じゃねえ、現実なんだよ、人が死んでんだよ。
人が、死んでるんだよ。現実として。
だけど、あまりにも被害者のツイートが「虚構じみていて」。
それはおそらく、被害者の虚勢の表れだったのだろうけれど。
本当に「虚構じみていて」。
何を思えばいいのか、何も分からなくなってしまった。
……さて。話を今度は逆方向に戻そう。
『タラレバ娘』を、僕はどう楽しめばいいのか。
ああ、こんな現実もあるかと、リアルだと楽しめばいい。
物語は物語だ。いかにリアリティがあろうと、いかに含蓄があろうと、いかに下衆かろうと、物語は物語だ。
現実世界の中で、人は物語を楽しめる。
じゃあ、「物語じみた現実」は?
現実は現実で楽しめばいい。楽しめる現実は、楽しめばいい。
それを超える「悲劇じみた現実」は?
……なんてことを思ったけれど。
現実は、どこまでいっても、ただの現実だろう。
それ以上でもそれ以下でもない。
だけど。
この物語化する現実を。
物語のまま捉えようとしている自分に、人々に。
……途方もなく単純化するなら。
「これは悲劇だから、仕方ない」という諦めと受容と、あるいは……
それを少しでも、熱狂じみた感情で受け入れる世間、あるいは自分に。
あるいは、「ああ、悲劇」と単純化しようとする心に。
怒りに。分断に。悲しみに。
ノーと言わなければならないと。そう思ったのだ。
(大袈裟だ、被害妄想的だと言うなら殺された被害者のツイートに寄せられたリプライを読んでみるといい、僕の言っていることがよく分かると思う)
……
今Mistirが一番オススメする漫画は『呪術廻戦』です!
超面白いぜ!!!!!
1巻はイマイチだけど、2巻から鬼のような勢いで面白くなるから絶対読んでくれよな!
お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。