Midnight Note

明日はどこまで行こうか。どこまで行けるだろうか。

iPhoneからSafariを消した結果がヤバすぎるwwwwww

あらかじめ言っておくが、ネット上にある「ヤバすぎる」の99%はそこまでヤバくない。

ネット依存がヤバすぎる

とはいえ、僕のスマホ依存はちょっとヤバいなぁ、という領域まで来ていた。
僕は「調べたがり病」だ。

焼肉屋に行く。ナムルが出てくる。
「ナムル……ナムル?俺はナムルのことを何も知らない……ナムル?」
iPhoneを取り出す。ナムルについて調べる。
1時間後、ナムルのことなど何も覚えていない。

鍋を作る。白菜を買う。
「白菜……俺たちは白菜について何かを知っていただろうか……白菜?」
iPhoneを取り出す。白菜について調べる。
1時間後、白菜のことなど何も覚えていない。

これくらいならまだいい。
問題は、気付いたら「白菜 なんj」みたいなワードで調べ始め、気付いたら「○○がヤバすぎる件wwwwwww」みたいな記事に飛んじゃってることだ。
気付いたら休日が一日潰れたこともある。

ヤバすぎるのはどう考えても僕である。

Safariを消したらヤバ過ぎる

思い切ってSafariを消してみた。
とはいってもアンインストールはできないので、一時的に使えなくするだけだ。
方法は以下の記事参照。

netaemon.com

消してみて強く分かった。
「俺の病気……根深かったんだな……」と。

あまりにも一日に何度も「調べよう」が発生していることに気づき、ビビる。
何気なくスマートフォンをポケットから取り出してしまう。
そして存在しないSafariを開こうとしてしまう。
その動作があまりにも日常的になっていたのは、やっぱり何かしらヤバすぎる。

「そうか……Safari……君はもういないんだね……」
Safariは未来に帰ったのだ。あるいは星になったのだ。

そもそも、常に「調べなきゃ」という義務感のようなものを心のどこかに抱いていた気がする。
それは嘘なのだ。
別に調べんでも良いものは調べんでも良い。
ナムルのことなど知らなくてもナムルは美味しいのだ。
それでも調べたいなら家で腰を据えて調べれば良い。

そしてもう一つ、重要な事実に気付いた。

知と知への渇望がヤバすぎる

人を新たなフロンティアに駆り立てるものは何か?
色々あるだろうが、少なくともその一つに「飢え」と「渇き」があるのではないか。
知に飢えるからこそ、人は知に恋い焦がれる。

……カッコつけて書いたけど、「なんでもスマホで調べられる」って、冗談抜きに「ヤバ過ぎる」んじゃないかなぁ。
普通に生きるためってだけならマジで図書館なんて不要になっちゃってるもん。
それこそ白菜の栄養成分知りたくて図書館に図鑑借りに行く、なんて人、現代にほとんどいないでしょ。
ミリグラム単位の栄養成分までスマホで一発なんだから。

人を図書館に駆り立てるものは何か?
って考えると、やっぱり知識への飢えに他ならないと思う。

別に不便な時代への回帰を望むわけじゃない。
便利なものは便利なものとして使えば良い。
でも「やっぱそれってヤバいんじゃない?」っていう危機感のようなものは持っておきたい。
「便利さと引き換えに何かを失ってる」という僕の直感は、それほど大きくハズレてはないだろう。
飢えねば、何も得られないのだ。
……いつの間にか、ナムルについて忘れてしまうように。

ただ無駄を愛す生き方が(いい意味で)ヤバすぎる

「ただ無駄を愛すのだ」


www.youtube.com

『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』のテーマソング、マカロニえんぴつ『はしりがき』の歌詞だ。
色々映画を見てきたが、『オトナ帝国』と並んで、人生最高の映画だった。長らくオールタイム・マイベストだった『百円の恋』を超えられた。
アマプラで配信される頃合いに語ろうと思う。

話が逸れたが、「良い無駄」と「悪い無駄」があるんじゃないか、というように思う。
これはもちろん『はしりがき』で歌われ、『天カス学園』で描かれた思想とはそぐわないものなので、分けて考えて欲しいのだけれど……

例えばこれだけ何でも調べられる便利な世の中で、わざわざ図書館にものを調べに行くのは「無駄」ではあると思うのだ。確実に。
だけどその「無駄」は、実に愛すべき無駄なのだ。少なくとも僕にとっては。

一方で「〇〇がヤバすぎるwwww」みたいな記事を読む時間って、同じく「無駄」だとは思うんだけど、その無駄も愛すべきものなのだろうか?
「なんやかんやグダグダする時間も必要だったよねぇ」とは後で思うかもしれない。
けれど、能動的にそんな時間を過ごす自分や、そういった記事を愛せるかというと……

結局のところ、今、自分を、自分の生き方を、愛せるかどうかなのだ。
滅茶苦茶飛躍している気がするけれど、「すぐ調べられる」って世界は、「自分を愛せない」世界に直結してるんじゃないか、とすら思う。
世界はただでさえ速すぎるのだ。
もう少し、ゆっくりしたって良いじゃないか。
誰もあなたを急かしなどしない。
誰にも急かされなどしていないのだから。

少しでも僕に似ていると感じた人は、まずは試してみてほしい。
世界の時間の流れ方が、少しだけ変わる実感を得られると思う。

ではまた。