こんにちは、Mistirです。
「いよいよ本格的に世の中ヤバいな」感が漂って久しいけど、それすらも通り越してもう大体の人があきらめモードに入ってきた気もする。
下手に外出すると死ぬ世界を描いたデス・ストランディングは好評発売中で、Mistirもプレイ中です。
でも個人的には龍が如く7を猛プッシュします。ゲームに久々に泣かされました。
それはさておき、少し前糸井重里さんと為末大さんが炎上していた。
個人的に為末サンが炎上したのは分かる。
糸井サンに関してははっきり言ってこれで炎上って無茶苦茶だなぁと思ったが、同時に神戸のクリスマスツリーの件でやらかしていたし、その経緯も含めたら仕方ないなぁという気もする。
……けれど、やっぱり、おかしい。
「責めるな、じぶんのことをしろ」……「金持ちのお前が言うなよ!」って僻みは (正当かどうかは別にして)分からなくもないけれど、政権擁護してるってのはやっぱりエクストリームすぎる。
そういったもやもや感が、最近明確な言葉になった。
「明確な敵」と、「明確な敵を断罪してくれる人」を求めている人が、ガッと増えてしまっているのだ、と。
ずっと感じていたことだったけれど、より露骨になってしまった。
誰かが「責める」と、スッキリする?
上の結論に至る過程で読んだ記事が、次に紹介するふたつの記事だ。
強い言葉で政治を批判する梅沢富美男と坂上忍が支持を上げているということについて。
「(政治家たちは)お殿様気分でいるんだったらいればいい! じゃあ下々に一回降りてきてどんな生活をしているのか、どんな暮らしをしているのか、テメエの目でちゃんと見ろ」と語気を強め、「手あげた人に10万円くれるって失礼じゃないですか」「あんたたちの給料は俺たちの税金ですよ。それをあんた自分の金みたいに言って」と猛烈に批判、司会の宮根誠司も止められないほどヒートアップした。
……。
子供向け番組の劇中劇でももうちょっとベタじゃない話するぞ……。
記事の中にあったこの解説に同意したい。
だけど実はこの人たち、特段に強い政治信条があるわけじゃないと思います。梅沢さんも坂上さんも単純に『怒り』を売り物にして稼ぐ人なんですよ。右も左も関係なく、自身の“粗暴なキャラクター”を最大限に生かし、ただ『怒ることができる方向』に向いて意見を述べてるだけ。
繰り返すけれど、僕は断じて「政治を批判するな」などと言うつもりはない。
だけど……なぁ。
いくらなんでも言ってることがベタすぎるというか……なんというか……。
その怒りの果てに何があるのか、さっぱりわからない。
……まぁただ、気持ちだけならなんとか分かるんだ。
今、もう世の中は理屈じゃない。
要するに、「子供向け番組の劇中劇でももうちょっとベタじゃない話するぞ」なんていう僕のツッコミなどより、明確な「悪」を「断罪」してくれるヒーローが求められているのだ。
手のひらを返すようだけれど、実のところ、梅沢サンがその役割を担ってくれている分には「まぁいっか」とも思う。
家に待機してテレビ観るくらいしかすることがない人も増えているだろうし、そういったガス抜きって必要になっているのだろう。
ただ。
もう一本。こっちのほうがヤバい。
筆者はかつてイタリアでワインを飲みながら日本人の生産性の低さを嘆いた内田樹先生です。
日本はパンデミックの対応にははっきり失敗したと言ってよいと思います。
(中略)―― なぜ日本は失敗したのですか。
内田 為政者が無能だったということに尽きます。
ああ、もう……本当に……この人とは……合わない。
僕はこの人のせいで「現代思想」という界隈周辺を嫌いになったと言っても過言じゃない。
気持ちは分かるけど、その断言じゃ何も解決しないよ。
それは何も語っていないのと同じだ。
アンタが率先してそれをやってどうするんだ。
ここでスッと僕の心に
「責めるな、じぶんのことをしろ」
という言葉が浮かんだ。
何度も何度も断っておくけど、「政府を責めるな」なんて言ってるわけじゃない。
だけどもうこの書き方なんか見てると「政権批判」とかじゃなくて、もう「仮想敵批判」と「空想」じゃない?それって。
スッキリする以外意味のない断罪を、創作ならともかく、現実のレイヤーでやってどうする?
しかも、
それはこのような人物を7年間も政権の座にとどめておいたわれわれの責任です。
とか言ってるけど、その「断罪」が向こう見ずで極端すぎたことから反発を招いた可能性が1%でもあるとか、全く思わないの?本気で?
梅沢サンが「断罪」やってる分には一種のエンターテイメントだから構わないのだけれど、なんていうかな……一応内田サンってアカデミック寄りの人っていう扱い受けてるよね?
これは僕の持論なんだけど、アカデミックって純粋に人に役立つものを科学やら研究やらで発見する、っていう側面もあれば、「世に迎合せず真理を追いかける」っていう側面もあると思ってる。
クサい言い方かもしれないけれど、世に迎合した学問なんかクソ食らえだとすら思う。
世に役立つものに意味がないと言っているのではない。
真理よりも特定集団の気持ちを高揚させることに意識が向いた時点で何かが腐り落ちる、と言ってるだけだ。
だからアカデミック界隈の人間が、世の潮流に対して「承認を与える」ようなことを言っているのを見ると……
心の底から気持ち悪い。
じゃあ、僕が言うしかないじゃないか。
責めるな
「お前も内田樹のこと責めてない?」っていうツッコミは至極真っ当だと思う。
だけど僕は「この潮流の全責任は内田樹にある」なんて言ってない。
ただ言ったことに対して「それはおかしい」って言ってるだけだ。
「責めるな」は僕の解釈で言い換えると、「スッキリするために怒るな!」ということを言っているに過ぎない。
「下々に降りてこい」も、「全て為政者が悪い」も、少なくとも僕には「スッキリする」以上の意味を感じ取れない。
僕がこの潮流について語ることは、少なからず意味があると信じた。
スッキリするためだけに怒っている人、たくさんいるだろう。
あえて断言するけど、それは無意味なんだ。
単純に不毛だろう。
そう語ることには意味があると信じた。
だから書いた。
そんな僕の意見を批判するのは自由だし、無意味だとも思わない。
さて。
……例を出した2つが政権に対する批判への批判になってしまったので、あくまでも僕は政治のことを問題にしたいわけじゃないというために、もう一つだけ参考記事を貼ろう。
ここでまとめられている糸井サンへの反応が全て。
僕が言いたいことは実際一つだけだ。
こうなる前に、自分だけでも、抗わなければならない。
……もちろん、これを引用すること自体に「責め」が内在してしまうというか、やっぱりどう言葉を尽くそうとも「責めるな」が自己言及的批判であることは自覚の上で書いている。
それでも、どうしてもこの「潮流」が、それこそ内田樹が批判する政府なんかよりも圧倒的に「ヤバいもの」に感じたのだ。
アカデミックな立場の人間ですらこの潮流に迎合するのなら、僕が宣言する。
誰かが言わなければならない。
疫病に抗えないなら、せめてこの潮流にだけは抗わなければならない、と。
この潮流に乗らず、じぶんのことをしよう、と。
世界は停滞しているようで動いている。
「怒る」なら、同時に、「抗う」べきだと思う。
逆張りクソ野郎呼ばわりされても構わない。
この「潮流」に気付かないうちに飲まれちゃダメだ。
抗わなければ。
その後は……やっぱり、耐えるしかないのだけれどね。
お読み頂きありがとうございました。
ではまたお会いしましょう。