こんにちは、Mistirです!
更新最近サボってました。書くこと色々あるような無いようなって感じで。
一応書くならがっつり書くので、今回は縮小版って形でごく軽くコメントに返信しますね。
ちょこちょこ返信しないと、溜まっちゃってて……
では参ります。
コメントありがとうございます!
そうなんですよ、引用してたブログのまとめでの「総攻撃」見てゾッとしたから上の記事を書いたっていう経緯もあります。
「『批判者』は『善人』か?」……これはなかなか難しいんですよね。
もちろん、僕も「善人」じゃないってことで。
ラオパン
クダクダと全部は読んでいませんが、この話の前提である「老人に席を譲る」が善行であるのが間違っている。老人が自分の座っている場所の近くに立っていれば別に良い行いをしましょうなどではなく立つのが当たり前。別に老人が座ってくれなくとも、別に感謝をされなくとも普通の行いとして立つ。人助けなどという概念が入るのが間違っている。
もしかしてこの老人その辺りに感じ入りそんな言葉になたかも。
コメントありがとうございます!だが全部読んでくれよ!!!!
……というのはさておき。
いわゆる「善意の悪臭」は感じたのかもしれませんね。やはり引用した記事の冒頭部分に結構濃厚な悪臭を感じますし。まあ実際のトコロは分かりませんけどね。
chaosdex
そもそも当事者じゃない人に開示する意味がどこにあるって思ってしまったが顕示欲かねぇ、せめてもの自己満足か
結局自己満足しようとしてるから歪んでそうやな
コメントありがとうございます!
まあこの中学生のショックを受けてそれを共有したくなる気持ちは分かるんで、 今後良い方向に行って欲しいですね。
考えられるべき本質が状況と一般的思想によって見えなくなってしまうから、このような話はおもしろいですよね
コメントありがとうございます!
そうですそうです、本質が一般論に隠れちゃう。もちろんそこで見つけ出した「本質」もズレてるかもしれませんが、それでも一般論に隠れたものを探る作業はしたいですよね。
オハナ
善行を行うことの難しさ、本当に感じます。
我が家の祖母も電車内で席を譲られて傷ついてました。「私はまだ立ってられた。自分はまだ老人じゃない。」って。でも、席を譲ってくれた人の気持ちを汲んで礼を言って座ったといってました。帰ってから、上記のような愚痴を私にこぼしました。
今回の記事の老人には、祖母のような「相手の善意を汲む」という気持ちがまったく無かったのだと思いますが、実際傷ついた側の愚痴を聞いている者としてはう~ん…と思ってしまう内容でした。傷ついた側が善意を汲んで気持ちを抑えなくてはならない、善意の“圧力”みたいなものは、やっぱり不自然だと思います。(この老人が祖母のように傷ついたのではなく、ただ絡みたかっただけだとしたら別ですが。)ボランティアにしろ席を譲る行為にしろ「社会一般で善行」とされているけれど、そのすべてが受け入れられるわけじゃない。ケースバイケースで受け取られ方も人によって多様、という認識は必要だと思います。同じ人間などいないのだから、「善行」に対する返答を「感謝・肯定」のみに限定してキャッチボールを進めることは相手に対しての思慮を欠いているのかな、と思いました。
コメントありがとうございます!
そして素晴らしいご意見、完全に同意いたしますので僕は何も言うことが無いですw
ある意味僕らは「無頼である」ことも求められるんですよね。「相手が傷ついても俺は俺のためにやるんだ!」くらいの勢い。まあ、その勢いが誰かを傷つけることもあるかもしれないけど、それも覚悟しとかないといけない。
案外善行って気楽じゃないんですよね。気楽にやるのがベストとはいえ……。
はな
ものすごく関係ない話ですが
席を譲るとか受け手が目の前にいる善行なら双方向コミュニケーションだから、改善もしやすくていいけど
ものを移動させる、付けっぱなしの電気やPCを落とす、など受け手と時間がずれていて、遭遇できない時、受け手が何かの強迫性障害を持っていたり、実験中だった場合、(張り紙等注意しておく必要があるとはいえ)損害賠償などを請求されてもおかしくないわけで、緊急性がない場合、行動に移す前にしっかりと思考しておくことは重要なのだろうなと。
コメントありがとうございます!
そうですね。結局は双方向できっちり認識がすり合わせられるなら、それがベストなんですよね。現実にはそれがなかなか難しくて。
相手が遠慮してるならそれでスパっとこっちは身を引く、そういうくらいの距離感もまた必要になってくることもあるでしょう。それってなかなか大事だけど難しいことですよね。
あああああ!!!
遅ればせながらコメントさせていただきます!
すみません!!ちょっとTwitter眺めてたらこの記事ピッタリ(?)なツイート発見してしまって居てもたっても居られず勢いのままコメントしてます。
https://twitter.com/puttin_puddin/status/236156540053229568
要するにこういうことですよねってのを滅茶苦茶端的に言い表していると思うんですけどどうでしょう。
人助けをして文句を言われたら不快になるのって要するにこういった喜んでもらいたい、感謝されたいとかいう欲求を満たせないがゆえに生まれる不満が元なんですよねって。
あと、唐突ですが、ほんとこればっかりは譲って欲しい人は譲って欲しいとはっきり言える社会なら、譲ってほしくない人は不快な思いをしなくて済みますし、譲ってほしい人は譲ってもらえて嬉しいし、譲った側は譲ったことで怒鳴られたりしなくてすむのではなかろうかとかいう事をふと考えてしまったのですが、日本の「察しろ!」って感じの文化だと中々難しいだろうな~と。
コメントありがとうございます!
確認しました。まさにそういうことです!僕ももしかしたら「モノをはっきり言う社会」を求めてるのかもしれません。欲しいなら欲しいと言う、言われた側も嫌なら嫌
と言う、それで後腐れ無いのがベストなんですけどね。
引用されてるツイートに関してですが、僕は何事をするときも「俺がやりたいから、理由があるからやるんだよ」って、こじつけでも自分に言い聞かせてます。関係あるかどうかよくわかりませんがw
BadBoy 17
みすちーさん、返信ありがとうございます。確かに、いま冷静になって読み返してみれば、私の文章には押しつけがましい表現が随所に見られました。
難解な長文を何気なく投稿したことも含めて申し訳ないです。
コメントありがとうございます!
前回の記事でも言いましたが、僕がイラッと来るのは「今回はぱっとしない」とかそういった言葉の節々で、長文とかそういったものは大歓迎ですよ。
なのでできれば言葉の節々をもうちょい柔らかくして下さい。そうしたら僕も冷静に反応できるので。……そうなんすよ、僕結構感情的なんすよ、御存知の通りw
hokushi
高校時代に読んだ、リチャード・バックの小説『イリュージョン』を久しぶりに思い出しました。
「(人を傷つけることも含め)俺たちはやりたいことは何でもできるんだ」というセリフに、当時はひどくショックを覚えましたが、今なら納得できます。
人の行動は、全て自分自身で選択したこと。もし機会がありましたらご一読を。
コメントありがとうございます!
いいですね。本当に、僕らは自由なんですよね。色々と。……そこから目を背けることで潤滑に生きてるって側面もありますけどね。
積んでる本が50冊に達しつつあるので、読みたいリストに入れておきますね。
受け入れない自由もあるけど、だからといって罵倒や否定で答える必要はどこにあるんでしょうか。
「自分はそれを受け入れたくない」を表現するために子どもを罵倒できる人間というのはマイノリティというよりイレギュラーです。
善行を選ぶ以上は感謝されないことも想定しておかなければ、というのは同意見ですが
罵倒や否定で返すというイレギュラーを選ぶ以上、「なんだこいつ、害意ありすぎ」という反応になることも想定しなくてはなりませんし
他人に害意を向けた時、共同体の中で安全策や対策を練る一環てして情報共有されることはままあるということも、覚悟しておかなければね。また人間には「あまりに的はずれなことや意図と全く違うことを決めつけられて腹がたつ」ということも起きます。
仮にこのおじいさんが、まだまだ元気なのに老人扱いされて不愉快だったのだとするならば
同じようにこの中学生は、自分なりにその場に必要だと判断したことをやったのに、思考を持たぬマニュアル人間めがと勝手に断罪されて不愉快だったのですよ。それらの点をまるごと無視して善人のみを批判してしまっている部分に違和感を覚えます。
コメントありがとうございます!
多分、ご指摘の点は本文の最初に指摘してますよ。
僕の考えを最初に言っておくと「①=口が悪かったこと」は十分に批判されて良いと思ってる。それも、当事者たる中学生によって。
この部分です。少なくとも「それらの点をまるごと無視」はしてません。
「口が悪かったこと」には、「中学生の内心を決めつけて断罪する」ことも含んでますからね。例えばここで「いや、譲られたくない」ってこの老人が言ってたなら話が別ですからね。
よろしければ再読してみてください。
今回はここまで。
まだの方は待っててくださいね。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた次の記事で。
正に地獄絵図!同感です。
紹介されてたブログ読んで、みんなで寄ってたかって攻撃してるの見て、背筋がぞーっとしました。御老人確かに口は悪かったと思うが、それを批判する者たちは本当に「善人」なんだろうか?自分は何様だと思ってるんだろう…。