こんにちは、文学部卒Webエンジニア系司法試験予備試験受験生の水上です。
司法試験予備試験はまったり勉強してて法律のことなんか全然分からん状態、いわば素人同然なのだけれど、最近気になる議論がある。
同性婚と憲法をめぐる議論だ。
まぁそういうのはエラくて法律に詳しい人がやってくれれば良い、と思ってたんだけど……
「同性婚が認められないのはおかしい」と主張する人に対して……
「憲法違反だから無理。勉強しろ」
とか言ってるTwitterのアカウントを見かけてしまって、僕の多少の勉強による認識である
という結論に真っ向から対立しており、いったいいかなる学説で人をボロカス言えるほど猛勉強なされたのか気になっていたところ、「生殖可能性のない同性婚を法律で認める理由はない」とまで言い始める学者先生も出てきてしまい、なんだか考え込んでしまった。
単なる素人でありバイクオタクに過ぎない僕がとやかく言うのもなんだが、
……なんなのこの状況?
腹の底からこうふつふつと
ということで今の僕ごときの認識でもまとめておいて価値があるんじゃないかと思い、この記事を書くことにした。
それはある種の意見表明でもある。
知的な中学生なら分かる程度のことを書くつもりである。
そもそも憲法とは
そもそも憲法とは。
そんなもん読みたくないわい、知っとるわい、という人もいるかもしれないが、少しだけ付き合ってほしい。
これは議論の前提でもある。
そもそも憲法は何のためにあるのか。
「憲法が定める国民の三大義務」とかいう話に慣れていると、パッと出てこないのも仕方がないが、憲法は国民の義務を定めるものではない。
憲法は、国家の義務を定めるものである。
これは他ならぬ憲法に定められている。
憲法99条
「国民」は含まれていない。
じゃあなんで「納税の義務」とかあるんだよ、という疑問を持たれた人もいるかもしれないが、これは「憲法の原則から導かれる反射的な義務」を定めたものなのだと思っている。*1
じゃあ「憲法の原則」とは何か、というと「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」っていうのは義務教育で習うことだと思うのだけれど……
この中で強いて言えば一番大事なのは何だろうか?
少し考えてみてほしい。
正解は……
「これという正解はない」が正解です。*2
なんやねん!と思われるかもしれないが、ただ、「個人的にこれだろうと思う」のはある。
そして「これだ」と断言している法曹の方も結構いる。
「基本的人権の尊重」である。
このテーマだが……
憲法の中で二回も出てくるのである。
第11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第97条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
なんで二回もあるねん、という話だが、それは割愛する。*3
ということで、結局のところこの日本国憲法というヤツは「基本的人権」をとても大切にした、言い換えると「個人の不当な自由への抑圧」に徹底抗戦した、極めて自由主義的なものなのだ。
で、なんでわざわざそこまで自由主義的にしたかっていうと「独裁への反省」が大きな理由だ。
「人権がない国」=「国家権力による徹底的な抑圧が許される国」と考えると分かりやすい。
憲法は理想主義を押し付けるものではない。
「国家に独裁を許してもロクなことにならへんで」という警告を、「憲法に反する法律を作るのは禁止!」という形で掲げているものだ。
つまり極めて合理的なものなのだ。*4
憲法は同性婚を禁じているか?
本題。
論者が根拠にするのは、この文言である。
24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
「両性」だからダメだと。
結論を言っちゃうと、これは当初そこまで想定してなかったというだけの話だろう。
「いやいや、文言がダメと言ってるからダメだろ!」という発想の人もいると思う。
まあそれ自体は自然な発想ではあると思う。
法律では字義通り解釈することを「文理解釈」という。
だがそれは解釈の一手法に過ぎない。
そもそも、ここまで書いた憲法の「前提」と照らし合わせて、24条が「同性婚を認めない」の意味に読み取れるだろうか?
なかなかに厳しいものがある。
この点、以下の記事が非常に詳しいので抜粋する。
憲法は、本当にダメなことはダメと言う性格の法です。
たとえば、憲法21条2項の「検閲は、これをしてはならない」、20条1項の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」がその例です。
憲法が言いたかったのは、「これからは両当事者の合意だけで結婚できるんだよ!」ということなのです。
憲法24条1項の「両性」という言葉から、憲法は同性婚を禁止していると論じるのは、強引でいじわるな「解釈」です。学説も、憲法は同性婚を禁止していないというのが一般的です。
ここで言われている通り、これを「同性婚の禁止」として読み取るのは「意地悪が過ぎる」。
ところで「憲法違反だから無理。勉強しろ」という意見について少し考えてみると、仮に「同性婚を認める」という法律ができた場合、もしこの人の言う通りなら、誰かが訴訟を起こすことになる。
「同性婚を認めるのは違憲だ!」という訴訟である。*5
けれど普通、違憲訴訟というものは「憲法に違反した法律、条例によって自由や権利を妨げられた」人が起こすものである。
香川県のゲーム条例が幸福追求権に対する侵害であるとした最近の訴訟が記憶に新しい。
この当否はさておき、この条例が人権に対する不当な抑圧を含みうる危険なものであることは十分肯定できるところだろう。
さて。
「同性婚が認められた」ことによって、誰の、何が、法律によって、侵害されるのだろうか?それは憲法によって守られるべきものなのか?
……考えても考えても分からない。
バカになりそうだ。
この人の言う通り勉強不足なのかもしれないね。私が。
皮肉はさておき、基本的に憲法は「個人の自由を抑圧したり基本的人権を侵害する立法にストップをかけるもの」なので、「個人の自由を拡大する立法」はむしろブーストする立場にある。*6
まあ百歩譲って「社会規範」であるとか、そういったものが壊れると主張する保守の方々がいるっていうこと、その存在自体はわからないでもない。
ただその抽象的利益を「憲法」というものに守ってもらおう、というのはさすがに無理筋だろう。
同性婚と生殖能力
さて。
ここからが本題2である。
「生殖可能性のない同性婚を法律で認める理由はない」という議論についてだ。
実のことを言うと、これは必ずしも一蹴できるようなものじゃない。
なので丁寧に蹴り飛ばしていこうと思う。
上記記事の筆者の立場は、要するに結婚を「子を持つ家族」の法律的保護のためにあるとする立場だ。で、実は水上もこの主張に関しては、ある程度同意している。
民法の家族法を勉強した人なら必ず分かるだろう。
結婚の法律的保護(利益)の大きさと義務の大きさについて。
分かりやすい利益が相続だ。
結婚すると相続の権利を得られ、それゆえに遺産狙いの結婚が……などという話はベタな話だ。*7
そして分かりやすい義務が離婚した際の財産分与規定だったり、慰謝料だったりである。
で、確かに「そこまでの大きな利益と義務を課す理由」は「家族と子供の保護にある」という主張はそれなりに理解できるものだし、実際民法はその趣旨を含むものだと筆者も同意している。
だが、だとすると不可解なものがある。
「じゃあなんで高齢者とか妊娠できない人の結婚が認められてるの?」という話である。
↑の記事を書いた石埼学氏曰く、こういうことらしい。
男女であれば生殖能力が推定されるというだけの話。個別に生殖能力の有無を確認して婚姻を許可することがプライバシー侵害になるから。
— 石埼学 (@ishizakipampam) February 3, 2023
「プライバシー侵害」というのは、要するに憲法13条の幸福追求権違反だ。
13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする
さて。
石埼氏の論理をまとめると、こういうことになる。
- 男女であれば、生殖能力が推定される。
↓ そのため - 不妊であるとか、病気であるとか、高齢であるなどの理由で婚姻を認めないのは、憲法上の問題がある。
↓ よって - 男女であれば、生殖にいかなる支障があれども婚姻が認められる。
↓ 一方 - 同性は生殖能力が推定されない。
↓よって - 婚姻は認められない。
この論理……
異様に気持ち悪くないだろうか?
男女なら「著しく高齢でも」「重病であるなどのいかなる理由があれども」、生殖能力が「推定」され、推定されちまった以上、その後は憲法で守られるらしい。
同性なら「憲法で守られる」のステージにさえ入らないらしい。
一方で筆者は「なんで高齢者とか妊娠できない人の結婚が認められてるの?」という問いについてこのように論理構成する。
- 沿革上、民法や憲法が異性同士の婚姻や、それによる家族の形成、子育てを予定していた可能性は確かにある。
↓だが - 当初から生殖能力が無い人の結婚が許されなかったということはない。*8
↓だとすると - 当時憲法や民法を考えた人たちは「生殖能力が無い人は結婚しないだろう」とか考えてたのだろうか?
↓当然 - んなわけない。
↓仮に - 「生殖」が主に法律の予定する保護利益であるとされていたとしても、一方で生殖能力がない人たちについて、たとえそれがマイノリティであったとしても、婚姻の権利を法律の範囲内で守ろうとしていたと解するのが相当だろう。
↓そして - 現にその利益は保護されている。
↓だとすると - どのような事情があれど「異性同士」であれば「生殖能力推定」により保護され、同性同士(言い換えれば愛する人がたまたま同性だった)であれば保護されないというのは、憲法上問題がないか?つまり、「憲法が予定する合理的な差別」と言えるか?
↓当然 - んなわけない。(憲法14条, 24条2項違反)
14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
24条2項
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
以上!!
ついでに「生殖能力推定」の部分にさらにフォーカスを当てたもう一つの論理構成も。
- 「異性同士」であれば「生殖能力推定」により、いかなる理由があれども婚姻が認められるというのは憲法の要請にかなうものだとする。「生殖能力推定」が否定される「実際には何かの理由があって子供が産めない夫婦」は、養子縁組などにより子育ての権利が与えられる。これは憲法の要請するところである。
↓だとすると - 「愛する人が同性だった」という理由でかかる権利が認められないのは妥当か?
↓ - 「なかなか厳しい」が結論になるだろう。(これも憲法14条, 24条2項違反)
結論
さて。
ある程度詳しい人は理解したと思うが、筆者の立場はシンプルに「同性婚を認めないのは憲法14条, 24条2項違反説」である。
これは地裁レベルで意見が割れているので、絶対的に正しいと言えるものではない。
仮に最高裁が認めたところで、「絶対に正しい」わけではない。
かの有名な尊属殺重罰規定も違憲判決が出るまでは「合憲」判決がいくつも出ていたわけである。
あとは読者の方に筆者の意見が正しく見えるか、石埼氏らの意見、あるいは「憲法違反だから無理。勉強しろ」くんの意見が正しく見えるか、判断してもらえればそれでいいと思っている。*9
おまけ
「憲法 民法 同性婚」あたりのワードでググると石埼氏の記事と同趣旨であるこういう記事がヒットする。
まあ石埼氏と言ってることほぼ同じなので読まなくて良い。
それに……
この記事を配信している「平和政策研究所」は、いわゆる旧統一協会の関連団体である。
なんというか、……
やれやれ、である。
以上!
*1:この点「これだ」と言い切れる結論があるわけではない。これ以外の学説知ってる人いたらむしろ教えて。
*2:統一見解まではないはず
*3:一応脚注を記しておくと、水上は97条は最高法規の冒頭にあることに意味があるという説に賛成である。というより、これは実質憲法1条であるか、あるいは98条が1条であり、2条にくるべき条文であると考えている。そして憲法97条は全憲法・法律の条文で水上が最も愛する条文だ。
*4:ちなみに自民党改憲案については貧血を起こしかけるくらい酷い、「数学やめて足し算だけやろう」くらいの後退を望むものなのだが、政治色が濃くなるのでここでは深く語らない。
*5:厳密には国賠請求からの違憲主張とかになるのだろうか……行政法難しい。
*6:もちろんその結果別の自由が侵害されるのならばその立法は違憲となることもある
*7:なお、もっぱら遺産狙いのいわゆる「愛の無い結婚」は、色々難しい議論はあるものの原則違法である
*8:そこに足を踏み入れた旧優生保護法はとっくに消滅している。れっきとした「違憲」として。
*9:なお石埼氏の意見は斬って捨てるようなものだとは思っていない。ただ「生殖能力推定」の部分に関しては明確に問題があるように思われ、この記事を書いた。