Midnight Note

明日はどこまで行こうか。どこまで行けるだろうか。

岡本太郎について誤解していたこと

どちらの道に進むか迷ったら難しい道を選べ

この名言は、芸術家・岡本太郎の発言である。























嘘である。
岡本太郎は一言もそんなこと言ってない。

だが、15年間岡本太郎のファンを自認する僕は、なぜかいつの間にかそう解釈してしまっていた。
そしてその趣旨についてとんでもない誤解をしていた。

正確にはこうである。

「安全な道をとるか、危険な道をとるか、だ」
 あれか、これか。
 どうしてそのときそんなことを考えたのか、今はもう覚えていない。ただ、このときにこそ己に決断を下すのだ。戦慄が身体の中を通り抜ける。この瞬間に、自分自身になるのだ、なるべきだ、ぐっと総身に力を入れた。
「危険な道をとる」


岡本太郎『自分の中に毒を持て』第一章

 

「危険な道」である。
「難しい道」とは言っていない。
いや、さらに厳密に言えば、「困難な道」とは言っている。

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。

(初出不明)

だが、「選べ」とは言っていない。
太郎さん自体のスタンスを表明しているだけだ。

なぜこの微妙な差異が重要なのか。

太郎さんのこと

僕は15年ほど前、ヴィレッジ・ヴァンガードで太郎さんの『自分の中に毒を持て』に出会った。
いたく衝撃を受けた。
そして長らくバイブルとなった。

けれど当時、自分の受験の心の支えとして太郎さんを上手く利用していて、なんとなく「そういうことじゃあないんだろうなぁ」という感情を抱いていた。

数年後、社会に出た。
どうも太郎さんの「どちらの道に進むか迷ったら難しい方を選べ*1」という発想は資本主義社会やら、成長圧力に支配された今のSNS社会に親和的過ぎる。

そんなこんなで、どうも少し冷めた目で見るようになっていた。
もちろん太郎さんを捨て去ったわけではなかったけれど。

それからさらに数年。
太郎さんのブームが来てしまった。
ファンとしては嬉しさもあるけれど、ちょっと複雑な感情もあった。
NHKが『TAROMAN』なんていうパロディなのかなんなのかよく分からないのを作っていたけれど、アレは絶妙に太郎イズムを理解している感があって尚更複雑だった。
(YouTubeで直接ご覧ください)


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太郎さんはああいう「誤解された」「大衆化」、少なくとも否定はしなかっただろうな……
どっちも太郎さんは「上等」って受け入れる人だもんな……
自分の展示物、手が触れられるようにして「盗まれたら盗まれたで構わない」とか言う人だもんな……
などなど。

そうやって僕と太郎さんの距離感はずっと微妙なラインにあった。

そんな中、太郎さんの本を今再読して「あれ?僕、もしかして間違えてた?」と気付いたのである。

太郎さんが抗ったもの

太郎さんが選んだ道は、「危険な道」であり、「困難な道」だ。
先程述べたように、それはどうも現代のビジネスやら資本主義社会に絶妙に親和的で、少し疲れる感じを抱いていた。
そしてストイックに過ぎるようにも見える。

だがそもそも、太郎さんはストイシズムの信奉者ではない。
決して違う。

宗教はとかくペシミスティックだ。死ななきゃ許してくれない。うまいものを食っちゃいけない、美人を見て色気をおこしちゃいけないなんて、一番いいものをみんな取り上げ、生命をいためたり、卑しめたり、生きるよろこびをすっかり抜いてしまってから、やっとよしという。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』第一章 および『私の現代芸術』

ではなぜ、何のために「危険な道」を選ぶのか。
がむしゃらに、ストイックにただリスクを負うのではないとしたら、何のためなのだろう?

これは「危険な道」「困難な道」という文言にばかり着目していたら理解できない。
そして僕は、真の意味で理解できていなかった。
あるいは忘れていた。

何かを理解するために重要なのは、いつも対となる概念だ。

一方はいわばすでに馴れた、見通しのついた道だ。安全だ。一方は何か危険を感じる。もしその方に行けば、自分はいったいどうなってしまうか。不安なのだ。しかし惹かれる。ほんとうはそちらの方が情熱を覚えるほんとうの道なのだが、迷う。まことに悲劇の岐路。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』第一章


「馴れた、見通しのついた、安全な」道。
それこそが太郎さんが切り捨てたものだった。

これだけに着目していると、どうもビジネス書っぽい。
だが、その真意をさらに読み解いてみる。

そしてみんな、必ずと言ってよいほど、安全な、間違いない道をとってしまう。それは保身の道だから。その方がモラルだと思っている。

(同上)

太郎さんは「選べ」と命じてはいない、と上で書いた。
それは太郎さん自身が選び、戦ったことを示しているに過ぎないだからだと僕は考える。
何と戦ったのか?
保身、モラル、……予測の範疇から逸脱しないもので塗り固められた、あらゆる規範。

 人々は運命に対して惰性的であることに安心している。これは昔からの慣習でもあるようだ。
 無難な道をとり、みんなと同じような動作をすること、つまり世間知に従って、この世の中に抵抗なく生きながらえていくことが、あたかも美徳であるように思われているのだ。徳川三百年、封建時代の伝統だろうか。ぼくはこれを「村人根性」と言っているが、信念をもって、人とは違った言動をし、あえて筋を通すというような生き方は、その人にとって単に危険というよりも、まるで悪徳であり、また他に対して不作法なものをつきつけるとみなされる。
 これは今でも一般的な心情だ。ぼくはいつもあたりを見回して、その煮えきらない、惰性的な人々の生き方に憤りを感じつづけている。

(同上)

僕はここに書かれていることに直面して、15年ぶりに太郎さんに出会って、そして叩きのめされた気がした。

太郎さんのことを理解できていなかったわけではない。
忘れていたのだ。
いつの間にか、「運命に対して惰性的であることに安心」してしまっていたーー。

何故か。

フライドチキンが食べたかった

はっきりと覚えている。
年収が300万円台だった頃、近所のバーで美味いフライドチキンを出してくれる店があった。
その頃は数千円が痛手だった。

僕は考えた。
いくら稼げばこういったバーでフライドチキンが毎週好きな時に食べられるか。
そして無理して抱えているバイクのローンも完済し、好きなだけガソリンを燃やすためにはいくら必要か。
その上で貯金も考慮。
その他諸々。

当時の会社に留まると当分は達成できない金額が出てしまった。

そこから数年、なんとか独立してそれくらいの額は稼げるようになった。
それからというものの、何度も何度も嫌な経験を繰り返し、すっかり僕は保守的になってしまっていた。

「どうやってフライドチキンを守るか」。
僕の主眼はそこに移っていた。
なんとなく、それはおかしいとは思っていたけれど。

「どちらの道に行くか迷ったら難しい道を選べ」。
あるいは
「どちらの道に行くか迷ったら危険な道を選べ」。
そんな言葉は、それだけではとても空虚だ。

なぜ必死こいて得たものをノリで捨てる必要があるのか。
そんな言葉だけに流されて捨てずに済むものを捨てるとしたら、それはとても愚かしいことではないか。
そう思っていた。

けれど、思い出した。
フライドチキンを得たのは。
「予測の範疇」に留まることを良しとしなかったからではないか。

そもそも、人は自分の知識の範囲内でしかものごとを考えられない。
そんな限られた知識を総動員して「予測」した、狭い範疇の中で生き続けて、死ぬ……。
そんなもの地獄じゃないか。
ふざけんな。
何を考えてるんだ一体。
死んでしまえ。

そう理解したとき、太郎さんの問いが鮮明に眼前に広がった。
「安全な道をとるか、危険な道をとるか、だ」
そしてこの問いに、「社会規範との親和性」なんて概念が入り込む余地なんて、無い。
これは徹頭徹尾「生き様」の問題だからだ。

予測ができてしまう

太郎さんイズムを理解できなかった、あるいは忘れてしまったことにはある程度仕方のない側面もある。
30年も生きると、予測できることが増えてくる。
何が面白くて、何が面白くないか。
何が幻想で、何が幻想で無いか。
どんどん見えてくる。
つまり、「外側」を見るのが難しくなってくる。

僕は子供時代に戻りたいとは微塵も思わない。
だが、「外側」に「幻想」を見られたという一点においては、やはり大人より子供のほうが有利なのだろうと思う。

じゃあ大人は幻想を抱けないのか。
一つわかりやすい方法がある。

Lv50を目指すなら最初からLv100にチャレンジすることだ。
そうすればLv40くらいなら軽く到達する。
つまり、自分が「ここ」と決めたら、意図的にその外を見るのだ。

例えば受験生ならば、今の実力でならA大学が限界として目指せると思うならば、A大学より偏差値が10高い大学を目指すべきだ。
A大学が目指せる、と思った時点で限界がそこになる。
A大学より偏差値が10高い大学を目指してれば、気づけばA大学くらいなら余裕になっているはずだ。
年収なんかでも同じ発想だ。
あまり即物的なことで考えすぎるとビジネス書っぽくなってしまうが……

即物的なことであれ高尚なことであれ、「全てが予測の範疇に収まる地獄」を抜けられるなら、何でも良い。
その地獄を厭う者ならば、誰もが使えるメソッドのはずだ。

悔しいことに高校の頃は十分そういった思考の枠組みがあったのに、……すっかり忘れていた。
完全に、忘れてしまっていた。
ここのところLv50を目指してLv10にしか挑めていなかった。
忸怩たる思いだ。
死んでしまえ。*2

まとめ

ここまで書いたことは


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だいたいFukaseに歌われている。
なんか腹立つ。


以上です。

*1:だから言ってねえ!

*2:この記事の「死んでしまえ」は全て自分に向けてます