この記事は
の続きです。
前回の記事は今回の記事の前フリです。
【前回のあらすじ】
638,000円の腕時計をクレカ一括払いで買った水上。
預金残高の運命やいかに。
高級腕時計なんか買って何の意味があるの?
購入してから20日強が過ぎ去った。
さすがに見慣れたものの、結果として微塵も後悔はしておらず、日々満足している。
寝るときや運動するとき、バイクに乗るときなどを除いて常に装着している。
前回の記事で「前の腕時計は針が気に入らなかった」ということを書いていたが、実のところ、より抽象的な目的がふたつほどあった。
ひとつめの理由。
まず、酔狂なお金の使い方をしてみたかった。
バイクのような幾分実用的、趣味を充実させるような要素があるものにお金を使うことはこれまでにもやっていた。
けれど腕時計にここまでの大きなお金を使うのは相当な抵抗があった。
罪悪感すらあった。
腕時計なんて極論、同じ機能が欲しければホームセンターで1000円で買えば良いのだ。
というより僕はチープカシオも好きだ。
けれど、そもそも良いプロダクトを買うということに罪悪感を抱く必要なんか全く無いはずだ。
それに「頑張る理由」みたいなものが欲しかった、というのもある。
これは漫画家のヒロユキが腕時計にハマった理由にも近い。
そこで思った。
「お金が貯まったことで無理して仕事をする理由がなくなってしまったなら、お金を使って、それでどんな面白いことが起こるのかを試してみればいいのでは。その手始めに腕時計を買ってみるのはアリだ。それで楽しければ、もっとお金を稼ぐために次の連載をやる気になるかもしれない」と。
第1章「腕時計との出会い」より
↑の本は腕時計好きとして読んでいてとても面白かったし、親近感を抱いた。
金銭感覚を除いて。
そしてさらに悪いことに僕の時計ライフにおいて、この頃は本当に序章としか言いようがなかった。本数的にも、金額的にも。
まだ「たったの1300万円」しか使っていない。
第2章「ロレックスを買おう」より
い、イカれてやがる……!
まあこの人と比べると64万円の腕時計くらい安いもんだ、と思ってしまったという気持ちが無いわけではなかった。僕も狂わされてしまたったのかもしれない……
そもそもこの人、本格的に腕時計にハマる前に既に60万円のオメガ持ってたらしいし、その基準からいけば僕はまだ腕時計の沼の入口にすら立っていないということになる……
まあとにかく。
何かしら頑張る理由として、酔狂なお金の使い方をしてみても良いかなと思った次第だ。
そしてもうひとつ。
これはタイトルの「自尊心」の話とも通ずる。
僕は。
「この最高にカッコいい、狂気すら感じるこだわりにまみれた腕時計を身に着ける自分自身」を手に入れたかった。
そして、そんな自己認識自体が、僕自身を何かしら引き上げてくれることに期待したのだ。
元々僕はApple Watchを持っていた。
アレはとても便利だ。
音楽の操作もできるし、ジョギングにも使えるし、財布にもなる。
色々なデザインから選べる。
便利さだけで言えば最上級だ。
だが、なぜそんなApple Watchを使わなくなったのか?
プロダクトとして面白くなかったからだ。
そして、面白くないプロダクトを身に着けたくなかった。
針が安っぽい、それだけでその腕時計を身に着けたくなくなったように。
何かしら気持ちの上で妥協するのが嫌だった。
話が変わるが、僕はZ900RSというバイクに乗っている。
www.kawasaki-motors.comZという伝説のバイクの名を冠したバイクだ。
僕はZ900RSを手に入れたとき、Z900RSと、もう一つ……ある意味、Z900RS以上に重大なものを手に入れた。
「Zに乗っている自分自身」だ。
Z900RSを手に入れたそのときから、僕は「Zに乗る男」に「成った」わけだ。
分かっている。
これはバカバカしい自己満足だ。
努力して地位を手に入れたわけでもなく、筋骨隆々の肉体を手に入れたわけでもない。
身も蓋もないが、金、それもローンで買っただけだ。
それだけなのだ。
だけど、それでも。
僕が「Zに乗るライダー」に成ったことには変わりがないのだ。
それは動かしがたい事実。
Apple Watchも似たような話。
僕は腕時計が好きだった。
高校の頃、制服やファッションには厳しくても、腕時計についてはとやかく言われなかったので調子に乗ってドン・キホーテでいろいろな腕時計を買っていた。
腕時計はその頃から僕と密接に関わるものだった。
そんな腕時計が好きな僕が、常に、便利なだけで面白いとは思わないプロダクトを身に着ける……
それは嫌だった。*1
だからこそ自分にとって妥協がないモノが欲しかった。
ロレックスあたりと見比べても、僕はSBGA469のデザインの方が好みだった。*2
そこまで考えて買ったわけだから、後悔があるわけがなかった。
購入したときから、僕は「グランドセイコーという狂気のプロダクトを常に身に着ける自分」を手に入れたのだ。
そしてドン底の自分自身が変わることに期待したのだ。
その結果は……?
「まぁ、多少は変わったんじゃねーの」という感じである。
せっかく格好良い時計だし負けないように身体も磨こう、パリッとした服を着よう、みたいな気持ちにはなるし、「こいつを2本3本買ってもなんら懐が痛まないくらい仕事頑張ろう」という気持ちも、まあちょっとは生まれた。
正直自分のアイデンティティになるくらい一本を使い込みたいので複数集めたい欲求はないのだけれど。*3
たとえ嫌なことがあっても左腕には高級時計がある。
大丈夫、俺はやれる。
……。
金持ち、もっと悪く言えば成金が高級腕時計や高級車を誇るのはどうかと思っていたけれど。
仕事も、人間関係も、人生ってのは基本的にままならない。
腕時計を買い替えるようには手軽に変えられないものだし、手軽に変えて解決!……というものでもない。特に人間関係は。
高級な腕時計や高級車を買って、少しでも自分が何かしら変わったような……もっと言うなら自尊心が上がったような気持ちになるなら、少しでも慰められるなら、たとえそれが錯覚だとしても安いもんなんだと思う。
……いや、僕にとって64万はクソ高いけど。
世の社長にとってはそんなもん安い、って人も多々いるだろう。
実際のところ群雄割拠の高級時計の中じゃ安い方だ。
リシャール・ミルやらと比べたりし始めたらキリが無いが……
そうやって「良いモノ」に囲まれながら、自分自身を無理矢理変えていくっていうこと自体は実際よくある話なんだろう。
まぁビル・ゲイツが激安腕時計してたり、そんなもん必要ないって人もいっぱいいるだろうけど。
……酒に頼るように、モノに、モノを得た自分に酔おうとすることも、決して悪いことではないはずだ。
お金で自尊心に栄養を与えられるなら、そのお金は無駄じゃない。
と思う。
だって、何度も言うけど……
世の中ってのは、人生ってのはままならないものだから。
高級腕時計の効能についてはさっき挙げたタイトルの長い本に詳しいので、そちらも興味があればお読み頂きたい。
そんなこんなで一切後悔せず今に至る。
ただ、少し重かったので革バンドに交換した。
快適だ。
SBGA469自体のレビューはほぼ書かなかった。
その内容に期待していた人には申し訳ないから一言だけ記載すると……
……最高です。
あとは動画で観てくれ。
……。
仕方ないじゃないか、この腕時計普通にカメラで撮るとただの紺の腕時計にしか見えないんだもん。
写真でカッコよく撮るのが難しいタイプの腕時計ではあります。
……。
一応、頑張って文字盤が映えるように撮ってみた。模様がわかりやすいよう明るさは上げてます。
あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~
【余談】
YouTubeで腕時計のこと調べてると、この邪悪な動画がたまに引っかかるんだよね。
僕の主張と似て非なる、それでいて相当邪悪なことを言っているのだが、コメント欄のやり取りも含めて面白すぎるのでたまに見てしまう。
一応今更ながら念のため言っておくと、僕の主張は明確にこの人とは異なる。
「酔う」ためのモノは高額なモノ、資産価値があるモノである必要はない。
自分にとって価値があって、心から好きだと言えて、こいつなら自分を変えてくれると、そう思えるモノなら何でも良い。
チープカシオでも良い。本質を追求する自分自身の在り方が好きだから、1000円の質実剛健な腕時計を常に着用する。そんなスタンスも良いじゃないか。
……当たり前の話なので言うまでもないとは思うのだが、まぁ念のため……
↑の動画みたいな人もいることだし。
世界は広い。
お読み頂きありがとうございました。
ではまた。