Midnight Note

明日はどこまで行こうか。どこまで行けるだろうか。

何一つ期待も希望もしない生き方

ども、Misitrです。

たまに「備忘録」としてブログに長文書きたくなるときがあるんだけど、今がそれ。

「何一つ期待しない生き方」ってみなさん、どう思います?
ネガティブ?

気付いたんですけど、僕はこの世界に何一つ期待していないなぁって。我ながら厨二乙。
でも、何一つ期待していなかったらどうなるかって言うと……
全ての物事が期待を上回ってくれるんです。

 

そういえば、わりと常に最低を意識して生きてきた気がします。
例えば、自分の入る会社がクソブラックであることを僕は覚悟してた。そりゃ覚悟はしきれなかったかもしれないけど、それでもまあいいやって思ってた。
友人が先に就職してたんだけど、なんか結構悪いことばっか言ってたから、社会なんてそんなモンだと思ってた。
今のところ、もちろん会社に入って短いから、ブラックかどうかなんて知る由も無いし知りたくもない。だけど、「期待外れだった」なんて一切思ってない。少なくとも今は。今のところ、期待は上回っている。

一人暮らしになったらあらゆるものが面倒で、しんどいものだと思ってた。
だから、今思ったより楽でびっくりしてる。

この「一応楽しみにはするけど、期待しない」ってスタンス、恐ろしい程に合理的なんじゃないかと思えてきた。

そして同時に、「辛そうな人たち」ってあらゆるものに期待してんじゃないかって思うようになった。
何にでも文句言う人、いるじゃろ?

「希望が持てない世の中」と人々は言う。
だけど、こう考えると希望なんていらねえ!とか、そういったことが思えてくる。
自分にそもそも期待してないから、何をやっても僕は僕の期待を上回る。

……でも。
案外根っこの部分で、僕は色んなモノに期待しちゃってるんじゃないの?と自問する。
どこまで僕は自分を騙しているのだろう?
僕は何かを期待しているのだろうか?

少しだけ、その辺りモヤモヤする。


とにかく。
「希望を持て」だの「目標は高く」だの、世間はやかましい。
世間はやかましい、だからこそ我関せず。そういった生き方はアリなんじゃないかと思うようになった。

で、ぶっちゃけると今の数倍小学校や中学校の方がつまらなくて辛くて非合理的だったんだよなぁ。
死のうと思ってたし。特に小学校の頃。
なんでこんなこと言い出したかって言うと、やかましく「将来の希望」やら「夢」やらぬかしてくるジジババどもが魍魎のごとく跋扈していたのは小学校だな、って

 

思い……出した!から。

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だから仮にこの記事を小学生や中学生、あるいはそれ以外でも「世の中に希望が持てない」人が見ていたとしたら、「それで全然良いんじゃね」って僕は言いたい、っていうそういう話です。

むしろ、「何も期待しない力」は強いよ、って。
そう思います。

ではまた次の記事で。