こんにちは、Mistirです。
今日はちょっと……というか、相当ふんわりとしたお話を。
最近、退屈だ。
社会人だもの、仕方がない。いや、「高校生の頃は〜」なんて言い出したらただの老害だし、高校生の頃は今より退屈じゃなかったかっつーとむしろ今より退屈だった気もするんだけど、それでも……
3年で状況が変わる。
そういう「認識」の中で生きる。
それはとても大きなことだったように思う。
なんとなくだけど、小学の頃は、まあ中学生になることが嬉しかったような。
中学が終わる頃、僕は高校生になると思えなかった。不思議な言い方だけど。
多分死んでるだろうなって思ってたのだ。
だが不思議なことに生きてた。不思議なものである。
生きて、高校に入学できてしまった。
未だによーく覚えている。
入学式の日。廊下の窓から中庭を見下ろしながら、ああ漫画みたいだと思ったものだ。出来ることなら恋愛ドラマを望む。
だが残念ながら、中庭は恋愛ドラマの場にはならなかった。当然だ。中庭に行く暇があれば食堂に行くし、図書館に行く。
中庭なんて、高校の象徴でさえ無い。なんであるんだ。
あるから、あるのだ。
ど田舎の高校だったので、駅まで10分近く田舎道を歩く必要があり、さらに言えば電車は30分に一本。よく全力疾走したものである。
次の電車が30分後だったため、とりあえず近所のコンビニに行ってカップラーメンを買って駅で食ってたら、同級生に「変な人やなぁ」の一文とともにブログに載せられたことは良い思い出である。
学校の食堂を思い出す。
図書館を思い出す。
見下ろした中庭を思い出す。が、コレは少し記憶が薄い。
駅を思い出す。はっきりと思い出す。
……さて、前置きはこれくらいで、今回は「建物」の話。
建物には象徴的な「魔力」が宿るという話だ。
吉本隆明の言葉なんだけど、「会社の建物は上司より大切だ」という言葉がある。
理想的な建物が理想的な場所にあって、ある程度以上の規模の会社だったら、毎日来てもいいやって気持ちになりますね。
これは、経験的に言えるんですけれど、規模の小さな会社で、町工場みたいな十五人くらいのところで、しかも狭かったりすると、どうしてもこう、貧乏長屋に住んでるのと同じような感じ、つまり、なんかいつも世間の風に吹きさらされているような気がするんです。そういう気分から守ってくれるのが建物なんですね。何でみんな大会社に入ろうとするかっていったら、僕は建物だと思う。
慧眼だ。
僕は非常に、大いに参考にしたものだ。
そういった「みじめさ」から守ってくれる、そういった建物の呪力。
だがそれ以上にもう一つ、僕は「建物という概念」にある幻想、呪力を認めている。
それは……
ニコ動で見てるんですが。二話以降有料らしいですね。
……わりと真剣な話の中でこれ引用すると気が抜けるなぁ……
まあいいや。
もちろん、スクールが愛のプリズンだった、とかそういう話じゃない。
ある意味もっともっとシンプルな話だ。
この食堂の風景。
この食堂の「感じ」見て、「あっ……ああああ」ってなったんです。
分かります?
きっと、分かる人は僕と良い酒を飲めます。
ああ、この光景は。
昔、夢見た光景だ。
高校に入る前?いや、入った後……大学に期待していた光景だったか。
いや、違う……これはもしかすると部活動の大会で他の高校に行ったときに「漫画みたいな食堂じゃないか!」と衝撃を受けた、あの記憶か?
……女の子がいっぱいいるから、とかそういう話じゃない。
なんというか……この、さ。
「学校っぽさ」を一身に請け負ったような光景っていうの?
ライトノベル・ゲーム・アニメで描かれる「学校」という建物。
アマガミです。懐かしい……。
もうなんというか、今はさ。
この「想像上の」「学校という風景の中に」あるいはその要素を含有していた現実の「学校という空間に」「存在していた自分自身を」思い出して……
大分なんというか、がっくりくる。
別に僕の学校はこんな綺麗な食堂じゃなかった。
だけど、学校の食堂というその場所、その建物、その物語性、その呪力を……
今、何か神秘的なものとして思い返している自分がいる。
あ、もう終わったんだ、って。
これから……こういった「風景がある世界」に自分は行けるんだ(あるいはそういった世界に自分は存在している)という「幻想」の消失。
その先には、退屈な世界が広がっている。
大学の頃も、そういえばそういった極限の退屈の中にいたような気がする。
でも……ここからが大事でさ。
「大学」もまた今思い返してみると十分な「物語の」世界なんだよ。
たとえこういった質素な教室でも、さ。
僕が学んでいたあの頃……僕はなんというか、十分に物語じみた世界の住人だったような気がする。
(画像引用元のT大のみなさん、質素な教室とか言ってごめんなさい、でも調度良かったので)
さて。
今、僕は「これからこういった建物がある世界に通う」といった幻想を持てず、というかもっと言ってしまえば……
建物にワクワクせず、生きてる。
建物に期待せず、生きてる。
それは世界にあまりワクワクしていないのと同義だ。
そういったことを、究極に自分向けにカスタムした僕の部屋で考えながら、ブログを書いている。
きっとこの瞬間はいつかの……
未来の自分にとっての物語になるのだろう。
この部屋に別れを告げるとき、僕は多分泣くだろう。
泣きながら、怪物じみた建物が立ち並ぶ夜の有楽町や新橋の飲み屋に行って、誰かにこの話をするだろう。
その建物の……未来の僕が「そこにいる」建物の、怪物じみた存在を脳裏に焼き付けながら。
……今日の話は大分ふわっとしてて、もしかすると同じような考え方をしたこと無い人にはさっぱりだったかもしれない。ごめんね。
僕はこれくらいのテンションで書くのが一番好きなんだ、実は。
お読みいただきありがとうございます。
ではまた次の記事で。