ども、Mistirです。
最近、筋トレがビミョーにブーム……な気がする。
マイブームでもあり、なんとなくだけどTwitterでも徐々に流行り始めてるような。
僕が以前書いたこの記事も結構ウケた。
でも、「何故今筋トレなのか」って考えてると……
なんとなく寂しい仮説が生まれてしまった。
現代で僕らが求めているもの。
現代で僕らが得られないもの。
その正体。
今日はそんなお話です。
確かなものは、この筋肉
Twitterでの筋トレブームの中心地には、必ずこの人がいる。
筋肉を中心に生活を回すと圧倒的に精神が安定する。筋肉は絶対に裏切らないからだ。努力の分だけ成長するし、世界経済が破滅しようと筋肉のサイズは変わらないし、100kgは世界中どこでも100kgだし、ジムに行けばいつでもダンベルが待っててくれる。これ以上の安心安定があるだろうか?ない。
— Testosterone (@badassceo) 2017年6月6日
18万フォロワーを誇る、人気アカウントのTestosterone氏だ。
この方は繰り返し「筋肉は裏切らない」と主張されてるんだけど、実際にその通りで……
例えば、毎日家帰ったら酒のんで食べて寝るだけのサラリーマンと、週に2日でも1時間きっちり筋肉痛が起こるような運動をしてプロテイン飲んでるサラリーマンと。
比較して身体に一切差がない「わけがない」のだ。
結果が出ない、なんてあり得ない。
体質の差はある程度あれど、「必ず」結果が出るのが運動であり、筋トレだ。
しかも「必ず」心に対して良い影響があることが証明されていて、一石二鳥三鳥の世界だ。
でも。
裏を返すと……
逆に。
僕らは、生きてると「裏切られることばかりだ」と認識しているからこそ、「裏切られない」筋トレがブームになっていると言えるのではないか?
裏切るよ、筋肉以外は
リンク先の漫画は尋常じゃないほど知的で考えさせられるものなので、是非読んで欲しい。
「現実の世の中が『わけがわからない』ものになったせいで、『わけのわからない』創作が売れなくなった」という出来事について語るものだ。
これって、まさに筋トレが流行る理由も同じで。
筋トレの何が楽しいかって、
- わけがわかること(プロセスと結果がびっくりするくらい完全に対応してる)
- 成果に弊害が一切ない
ことだと思っている。
現代の僕らが、この「わけがわかる成果」を求める原因って、社会と個人の両方から語れるものだと思ってて、
- 社会が「わけがわかる」程度の報酬を個人に与えられなくなった
- 個人が「わけがわかる」程度の報酬を求められなくなった
という、二つの現状が存在しているんじゃないだろうか。
前者は、実は語っても全然おもしろくない。
日本社会が貧乏になってるなんて、そんな言説はもう聞き飽きた。
僕が語りたいのは、後者だ。
情報過多の世の中が行き着くトコロ
僕らは、情報過多の世界に生きている。
「こうしなければならない」「こうしなければ幸せになれない」、そういった情報ばかり先走っている。
この現状を冷静に見つめる、こんな本もあるくらいだ。
良書なので是非。
こうしなきゃ、ああしなきゃ幸せになれない。
「SNSが人を不幸にする」というのも似たようなものだ。
「他人基準の幸せ」が容赦なく自分に襲い掛かってくる。
で、考える。
僕固有の幸せってなんだったのだろう?
働かず、ゆっくり本を読みたい?
(ホントにそう思ってる?)
お金稼ぎまくって、夜の銀座の高級店練り歩きたい?
(ホントにそう思ってる?)
高級バイクが欲しい?
(ホントにそう思ってる?)
と、一つ一つやりたいこと、「こうなれば幸せだ」って考えて、それを疑い始めると……
段々、何一つ確かなことがないことに気付く。
僕がしたいことってなんだっけ?
(もしかしたら、僕のしたいことなんてなにも無いのでは?)
……。
よっしゃ、筋トレしてカッコイイ身体になろう!!!
これって凄く分かりやすいもので、「脂肪まみれの身体」より、「筋肉まみれの身体」の方が「良い」に決まってる。
同じ論理で「極貧」よりは「金持ち」の方が「良い」に決まってるんだけど、こちらは筋トレと違って「確かな」プロセスが何もない。
筋トレはどこまでもシンプルで明快だ。
まぁ、それはそれで良いんだけど。
「確かな幸せ」が無いから、「筋トレで『ささやかな、確かな幸せ』」を求める、そのために一周回ってストイックになるのって……
なんか世の中、本当に面倒くさくなってるなぁって気がする。
そこまで限界なのかよ、と。
多分、そこまでやりたいことがあって生きてる人なんて、そういない。
でも僕らはそれを強く欲する。
少なくとも僕はそうだ。
僕は多趣味なんだけど、何をやっても何もやってないような焦燥感にずっと駆られている。
「休みの日はすることがない。50%はバイク乗ってるけど、それ以外の日には一切することがない。ゲームして、映画とアニメ観て、本屋行って、たまにブログ更新して、ゲームセンター行って、夜たまに飲むかジムに行くかくらいしかすることがない。何もしてない」
最近こんな思考になってる気がして、急に自分を振り返って気づいた。
これは……何かもはや病的じゃないのか、と。
一方で何もかもが面倒くさい。
もう、どうしたらええねん。
……
よっしゃ!筋トレしよう!!(ループ)
今後の日本は
やりたいことが無い。どうしようもない。閉塞感だけはある。
この感情って、結局は情報過多の時代だからだと僕は思ってるんだけど……
この感情から抜け出すためにできることって、無理矢理にでも「世界はまだ面白いはず」っていう自分の感情を駆動させ続けることしかなくて。
それって物凄く、疲れる。
疲れるけど……でも、やらなきゃ。
あぁ、また疲れる。
なんだか何が書きたいか全く分からなくなってきたので、この記事はここで終わります……。
ではまた次の記事で。
お読み頂き、ありがとうございました。