Midnight Note

明日はどこまで行こうか。どこまで行けるだろうか。

「僕は変人だ」、それはいつしか呪いとなった

「自分は変人だ」と言う奴は変人じゃない。
とても有名なテーゼであり、しかも高確率で当たる。

「私変人って言われるんです~」と、その定型文を定型文のまま語る人はあまりお目にかかったことがないが、それに近しいことを言う人がホンモノの「変人」であると思ったことは基本的にない。
近頃それに近しいことを言っていた人がいたが、
「ああ、君はその性質が『変』とされるコミュニティで生きてきたんだね。羨ましくもあり、同時に羨ましくなくもある」
と、微笑ましいような歯がゆいような、複雑な気持ちを抱いた。
もちろんそれを口に出さない程度の節度は弁えていた。

僕も基本的に、上に掲げたテーゼ……
「自分は変人だ」と言う奴は変人じゃない、というテーゼを信じているけれど……
それでも、たまに思うことがある。

あらゆる人から、あらゆる表現で。
「お前は変人だ」と言われ続け。
そして「まぁ、そうなんだろう」と認めた僕が。
今更「僕は普通だよ」と主張できるだろうか?と。

むしろ「僕は変人だ」と、声帯を使ってあえてそう主張しなくても。
僕は頭の先から足の先まで全身で、相手の五感全てに訴えているのではないか、と。
「僕は変人なんです、分かってください」と。


そして僕はいつしか探し始めた。
僕のことを理解してくれる人を。
そして、幸運なことにたまに「理解してくれる人」あるいは「それに準ずる人」は現れてくれた。
だけど僕がそれを幸せに感じることはあまりなかった。

何故だろう。
僕は考えた。最近はSNSから離れ、なるべく世間の情報を遮断している。
色々と本を読んで、考えた。

そして気付いた。
……いつの間にか、僕にとって「変」であることはただの呪いとなっていた。
呪いであり、同時に……
つまらない言い訳だった。

 

 

変人であると言われ続けて

小学生の頃、端的に言えば僕はイジメられていた。
今なら理由が分かる。性格の悪いクソ真面目だったからだ。

そしてある時期からイジメられなくなった。
理由は簡単、相手のノリに乗って自虐することが上手くなったからだ。
これは簡単な話で、僕がこの「戦術」を覚えた時期は反抗期と被っている。
要するに、親に逆らえるようになった瞬間から僕は上手く他人からの「イジり」に乗れるようになったわけだ。
思えばこれが「第一の呪い」だった。

「第二の呪い」について、僕は明確に覚えている。
京都大学とかいう頭のおかしい大学の、そのまた頭のおかしい吉田寮とかいう場所に行ったことだ。
京都大学の受験は2日間あるのだが、その2日目の受験が終わった頃だった。
「吉田寮恒例鍋パーティー」があることを、張り紙か何かで見て僕はそのまま向かったのだ。
単純な話、もし受かったら吉田寮への入寮を申し込むつもりだったのでその事前見学という意味もあった。

もう記憶は薄いのだが、一言で言って「オンボロ」で、壁やら何やらにどうもキナ臭い張り紙が色々と貼ってあったような気がする。

その鍋パーティで何を話したか、何をしたか、鍋がそもそもどんな味だったか、さっぱり覚えていない。
ただスマブラ64合戦が突然始まったことと、参加者の京大生が畳にビールをこぼし、そこらへんにあった汚い布切れでビールを拭いていたことを何故か覚えている。

その鍋パーティで、僕のキャラは異様にウケた。
僕が何を話したか、どのように振る舞っていたか。さっぱり覚えていない。本当にさっぱり覚えていない。あの会場にいた人を探し出して教えてもらいたいくらいだ。
2,3回くらい落ちて浪人してる人もいたが、その人と凄く仲良くなって受験番号を交換した記憶がある。

その鍋パーティに参加すると受験に落ちるというジレンマを知ったのは後の話だ。

僕は当然のように、そのジレンマ通りの結末を迎えた。
交換した彼の受験番号は合格者受験番号一覧の中に確かに存在していたのだけれど。

後期で入った大学で、僕は苛々を募らせていた。
自分のことも他人のことも分からなかった。
だから「ウケたときのあのキャラ」で貫いていた。

……友達があまりできず、寂しい思いをした。
だが入っていたオタサーで友達は何人かできた。

……それからはあまり語ることがない。
……否、語ろうと思えば無限に語れるのだが、余白と時間が足りない。

散々自分語りして、何が言いたいのかと言えば……
結局、僕の姿勢は甘えだったのだということだ。

歩み寄らずに済むということ

幸運にも、「(おそらくは)変人であること」を起因としてか否か、友達はそれなりにできただが彼女はいない
だから僕はずっと「面白い人間」、「変わった人間」で「あるべき」なのだと。
一種の「呪われた認知」を抱えてきたのだと思う。

だが……なんというか、それは多分。
そうしてさえいれば「僕は自分勝手でいられる」と、そう信じるための「自己防衛機能」だったのだと思う。

京大吉田寮の思い出だってその一種で、「ウケた」ことを「受け入れられた」と今思うと解釈してしまっていた。「ウケる」ことと「受け入れられる」ことは入り口の段階ではほぼ一致するが、それ以降の段階ではほぼ別物になる。
「ウケる」は瞬間的プロセスで、「受け入れられる」は持続的プロセスだからだ。
どうやら僕は、いつの間にかその2つを混同してしまっていたらしい。

「僕の居場所を探そう」は、僕にとって「僕が僕のまま受け入れられる場所を探そう」であり、「僕の『変』な性質が『ウケる』場所を探そう」だった。

これを甘えと言わずなんと言うのか。

さあわかったぞ。僕は甘えていたのだ。
……だが、明日から僕はどう変わればいいのだ。
何年も何年も変人と言われた僕に、変わる余地はあるのか。

……と、ここまで書いたのだけれど、正直なところ本質的に変わろうとは思っていない。
ただ、自分をカテゴライズすること……「自分は変わっている」だとか、「自分はこうだから」とか、そういった言い訳を全てやめてみようと思っているだけだ。

「京大を目指している、読書好きの変人高校生」は……まあ、そこまで少なくないだろうけど、そこまで多くもいないだろう。

だが、「変な社会人」は海の中のバクテリアと同じくらいいる。
海の中のバクテリアとして生きるのはゴメンだ。

……さて、どうすっかなぁ……