こんにちは、Mistirです。
あけおめ!
前回、そこはかとない最終回感を出してしまいましたが
だんだん書きたくなってきたので書くことにしました。
タイトルは堅苦しいけど、堅苦しいことを言うつもりは全く無いのでキャラメルフラペチーノでも用意してテキトーにお読みください。
とは言いつつ、参照記事も全部参照してると30分くらいかかるので、是非お時間をとってお読みください。お願いしますマジで。
……。
発端は、こんな記事を読んだことだった。
ちょっと時間はかかるけど、滅茶苦茶面白いので是非お読み頂きたい。
というかこの記事をお読み頂かないとこの先に語ることが無意味になるので本当にお願いします。
要約してくれ、って言われてもこの内容を要約するのは無理だ……
……。
お読み頂けました?
この記事に対して、茂木健一郎氏が「理数系の素養がある人は日頃もっと難しい議論をしてるから理解できる」的なことを発言している。
……まぁそれも一理あるかもしれないが……
はっきり言って、WEEKLY OCHIAIで語られていることに関しては最初のブログが指摘するように「意味不明なコントになっている」っていうのは正しいと思う。
落合陽一さん(以下敬称略)、多分連想した片っ端から発言してる。発言してその中で考えて、また発言してる。一種の自由連想法的発話。
天才型の人間は結構こういう話し方をして常人を置いていく場合がある。
で、僕も同じ
†天才型†
なので、理解できるわけである。
という冗談はさておき、実は落合陽一の指摘する話は「何言ってるのこの人?」で流すべき話でもなく、ベラボーに面白い話なのだ。
落合陽一の議論を分かるか否か、っていうのは「似たようなことを考えているか否か」に過ぎないと思う。たまたま僕は似たようなことを考えていたってだけだ。ただ、アプローチは明確に違う。
実際のところ、落合陽一がここで語ろうとしているのは思いっきり社会学とか人文学系列の議論だ。人文学軽視のこの時代に、落合陽一の議論はかなり重大なものだと僕は考えている。
……だからこそ、「理数系の素養云々」で臆面もなく「吸収」するのは、なんていうか……人文学を学んだ人間として、ちょっと遺憾の意である。
……といったような、ちょっとした怒りを込めた記事だと思ってください。
キーワードは「茶番」、そして「共同幻想」。
少し長くなりそうですが、是非ともお付き合いください。
この世界を生きること、そして「茶番」
唐突にも程があるが、こちらの動画をご覧頂きたい。
落合陽一の議論を解説するためにVTuberの動画を引用するのは僕くらいかもしれないが、冗談抜きに非常に重要な動画なんです。
解説すると、最近全然ディープなネタを取り扱わなくなった自称「深層webのお嬢様」であるDWU(ディープウェブアンダーグラウンド)と、下記書籍の著者である借金玉氏の対談だ。
こちらの本は僕も読んだのだけれど、かなり面白い。
DWUに関して言えば、動画は割と面白く見ているのだけれど、たまに余りにも世間や世界に対する感度……冒頭の動画の場合、発達障害に対する「感度」のようなものが浅すぎて……ちょっと勘弁してくれよと思うことがある。
特に引用した動画はひどくて、コメント欄でもかなり多方向から指摘されている通りだ。が、それも含めて最近「ディープウェブどころか浅瀬の存在」と愛されている(??)かなり不思議な存在でもある。
で、明確に議論の食い違いが起こっているのは「茶番」という言葉の食い違いだ。
これは動画を観て頂ければ分かるのだけれど、本当に……明確に……途方もなく……食い違っている。
面白いくらい食い違っているのに、そこにほとんど突っ込まないという地獄のような対談が発生している。
はっきり言って対談としては失敗パターンと言っていいようなモノなのだが、DWUのキャラクター性を考えると一概にそうは言えないので複雑なところである。
さしずめ「怪文書」の映像版、「怪奇映像」と言ったところか……
……言い過ぎか。
おそらくDWUの認識する「茶番」は割と一般的な文脈での「茶番」……つまり、ほぼ悪口に近い意味で認識していると思う。
「無意味(悪口)」「無駄(悪口)」と同じような意味で認識しているのだろう。
一方、借金玉氏のいう「茶番」は大幅に広い意味で、マイナスのニュアンスもプラスのニュアンスもどちらも包括している。
「社会を営む上での儀式・儀礼的なもの全般」を茶番と捉えているフシがある。
僕個人が思いついた限りだと、
- エンターテイメント全般
- 会社での年功序列、体育会系のふるまい
- 就職活動
- マナー
- 「死にたい」という言葉
- 「死にたい」という言葉を発した人を慰めること
……などなど。
借金玉氏のブログにもヒントがある。
無限に存在する「儀式的なもの」「儀礼的なもの」全てを包括した概念として「茶番」という言葉を使っていると僕は認識している。
それでもイメージがつきにくい方は、先程の動画のコメント欄を見て頂きたい。
借金玉氏が指摘する「茶番」は、氏が「大事にしましょう」と言うように、
「とりあえず守っていれば生きやすい」
ものでもあり、……同時に、一部の人間には「極めて鬱陶しい」ものでもある。
例えば「上司の判子の隣に判子を押すときはおじぎの角度にしましょう」みたいなのは、一般的な意味でも「茶番」だし、「守っていれば生きやすい」の領分を超えている。
そのレベルであれば色んな人が「おかしい」と思うが、さらに敏感な感度の人がいる。
例えば、「会社の会議、9割くらい無駄じゃね?」とか思い始めたら多分、僕だったり借金玉氏だったりの仲間入りである。
さて。
そろそろもう一つのキーワードが立ち上がってくる。
「茶番」という言葉はDWUのように、「マイナスでしか捉えられない」という人がいる(というか、DWUの場合理解を根本的に拒絶しているような気がする……)
まぁ実際のところ「全て茶番に見える」と言ったような表現を悪口と認識しないのは、さっき使った表現をもう一度使うとすると「同じことを考えている人間だけ」ということになると思う。
そういう意味なら、僕はただ借金玉氏と「同じようなことを日頃から考えている」だけ、ということになるだろう。
「茶番」という言葉は誰もが一度は聞いたことがある言葉だし、比較的認識も共有しやすい言葉だと思う。
……動画では全く共有できていなかったが。
それでも、人文学的なタームを取り入れた上で言い換えてみるとどうなるだろう?
……もうお分かりでしょう。
この記事のタイトルにある通り……
「共同幻想」である。
共同幻想について
「共同幻想」。
この言葉は吉本隆明の『共同幻想論』で示された概念だ。
この本、もうめっちゃくっちゃものっすごっく難しい。
ここでの議論に関してはWikipediaレベルの認識で構わない。
僕も大して認識ができていると思えないし……
共同幻想
個人と他者との公的な関係。国家・法律・企業・経済・株式・組合がこれに当たる。また、宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。
「国家は幻想である」。
「法律は幻想である」。
ここで「確かにそうかもしれない」と考えるか、「いや、あるじゃん!日本ここにあるじゃん!」と考えるか。
僕は前者をこそ、オーバーだけれど「人文学的素養」と呼ぶ。
もちろん後者の認識の人を「素養がない」というわけではない。
もし後者の認識の人は、とりあえずこう考えて欲しい。
「国家は幻想である」よりも、「法律は幻想である」を考えるほうがわかりやすい。
例えば、
A.「10リットル流血すると人は死ぬ」
B.「コンビニで雑誌を盗むと窃盗罪で逮捕される」
どちらも「事実」ではありそうだけれど、この2つだと、議論の粒度というか「事実のレベル」が違うのは分かるだろう。
Aは生物学的、Bは法律の話。
それも正解なのだけれど、Aはそもそも「人が共同で取り決めた具体的な何か」に起因しない自然発生的なもので、Bは「人が共同で取り決めた具体的な何か」に起因するものだ。
かなり「浅瀬」な議論で申し訳ないのだけれど、端的に言って後者を「幻想」、それも「共同された幻想」と解釈することをここで「共有」できただろうか。
……この「共有」もまた、ある種の「共同幻想」の醸成だ。
さて。
B.「コンビニで雑誌を盗むと窃盗罪で逮捕される」
というルールの世界で生きている人間……抽象化すると、「共同幻想を営む『いわゆる』人間のことを」、ちょっと嫌味な言い方をするなら"人文学的素養のある人"は、「『カギカッコ付きの』」と表現することが多い。
……しかしまぁよくシラフで「素養のある」とかいう表現使えるな……もう二度と使いたくない。皮肉で使ってたけどもう使わない。
さて、ここまでで皆さんは「同じことを考えたことのある」人間になったわけだ。
ということで最初の記事を読み返してみましょう。
共同幻想2.0
結論を言えば。
多分、落合陽一は「共同幻想2.0」を構築したい、あるいは構築された未来を夢見ているのだと思う。
例えばアメリカは聖書に手をついて大統領が宣誓する。これはもうものすごくわかりやすく、強い「共同幻想」だ。
宗教はある種、最強の共同幻想だ。
僕は勝手に共同幻想が「抑止する共同幻想」と「推進する共同幻想」の2パターンがあると整理している。
例えば法律は前者に属し、「意識高い系ビジネス書」は後者に属する。
宗教は素晴らしいことに、両方兼ねている。
言い方を変えると、宗教は強固な「フレームワーク」だ。
「宗教的な考え方を遵守していれば楽に生きられる」。
実際はそう簡単にはいかないだろうが、少なくともある程度以上の道筋を示してくれるのが「宗教」という共同幻想だ。
※文脈的に「宗教」=「共同幻想」=「茶番」が導けてしまうが、この記事に宗教批判の意図は一切ない。それはここまで読んで頂いた方であればご理解頂けるだろう。
その点、日本には強固なフレームワークが……
共同幻想が、ない。
本当に、全くと言っていいほど無いのだ。
というか厳密に言えば……
……日本は共同幻想をことごとくブッ潰されてる。
岸田秀は『ものぐさ精神分析』で日本人の精神性がペリーの強制的な開国によって分裂病(現代で言うところの統合失調症)的に分離された、と指摘した。
だが、そこまで遡らずとも終戦後から現代までも波が激しすぎて……
「一体日本人という国民は、何を信じて生きてきたんだ?」
とも言いたくなってしまう。
終戦後は「復興」が共同幻想だったということでいいだろう。
高度経済成長時代とバブル期は「経済成長」だろうか?この二者だと微妙に幻想の強度と中身が違っていたと思われるが。
で、バブル崩壊以降は……ガチで何もなかったんじゃないだろうか?
否、何か「信ずるもの」……例えば、「ITが世界を変えてゆく」といった「希望の共同幻想」が醸成されかけたところで……
2011年、津波が流してしまったんだった。
ここは東浩紀が現在進行系で悩んでいるようで、氏の著書を読んでいると「震災前と震災以降で書けることが変わってしまった」「震災前だけにできたノリがあった」ことを痛々しく感じていることがよくわかる。
そんな日本で、落合陽一は例えば……自然が培ってきたもの、例えば「サバの模様」を産んできた地球46億年の叡智を、ブロックチェーンであるとかAIであるとか、そういった「大きな技術」で再現する。
それが「信ずるもの」……「神」として機能する。
それらが日本あるいは日本国民を「推進する」。
概ね、そういったことに強い希望を抱いている……あるいは。
自らの手で推進しようと思っているのだと、僕は推測する。
そして、そんな落合陽一に対して僕が思うことは……
前向きな諦め
僕は今後、日本にアメリカで言うところの「聖書に手をつく」といったような「強固な共同幻想」ができることには、あまり期待していない。
AIがいくら発達しても、ブロックチェーンがいくら理解されても、共同幻想にはなり得ないと思う。
「日本人という国民性」なんて語りたくないけれど、それでも日本は多分「共同幻想を抱く」ことは苦手なんじゃないかなぁ、と薄々思っている。
「AIが仕事を奪う」とかさ。なんというか「負の共同幻想」は得意なイメージだけど。
ただ、ぶっちゃけると日本国民、あるいは落合陽一ファンのエリート層がどういった共同幻想に突き進むか、なんていうのは……
僕にとっては割とどうでも良くて。
厳密に言えば、僕自信がその「共同幻想」に属することはないだろうと言うだけの話なのかもしれない。
借金玉氏は「茶番」に能動的に乗っかることを推奨しているが、僕は可能な限り離れて個人として気楽に生きる方法を模索している。
まぁそれでも最低限「茶番」は必要ではあるけれど。
これは極論なんだけれど、例えば上司が明らかにおかしい決断をしようとしていて「いや、ねーわ」と言わないことも守るべき「茶番」の一種だ。
「茶番」と思いつつも「上司殿、あなたの頭は大丈夫ですか?」と言わねばならない。
……勿論冗談です。冗談ですよ?真似しないでね?
と、まぁそのレベルの最低限の「茶番」を守りつつ、本当にしょうもない「茶番」からは距離をとって自分のために費やしたほうが良いじゃん、と真剣に思う。
「共同幻想からなるべく脱するという共同幻想」とでも名付けようか。
「それ、共同幻想じゃなくて自己幻想じゃね?」と思われそうでもあるが、なんとなくこの発想は共同幻想と言って良い気がする。
なんとなく、ここ最近「個人として前に進みましょう」「確かなものを確かに掴みましょう」みたいな考え方が共同幻想化してる気がするんだよね。
何の話をしてるかって?
筋
肉
万
歳
いや、筋トレブームって明らかに「共同幻想の消失(それも2011年以降の明示的消失)」と、「ネットが推し進めた個人主義」が一種の転換を起こして生み出した新しい「共同幻想」じゃん?マジで。
あとミニマリズムとかもそうだし。
どっちも共通してるのは、「やればやるだけ確実に成果が見える」 ≒ 「脱:一般的な(ネガティブな)意味合いでの『茶番』」。
そういう生き方って結局何なの?
ただの個人主義?
違うと思うんだよなぁ……
っていうのを、こんな感じで発信していく「茶番」に生きること。
まぁ、それくらいなら僕でもできるかもしれない。
それはそれとして、落合陽一の議論、期待するところは今後もフォローしていきたい。
取り入れられるものは全部取り入れないとね。
改めまして、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
最近Twitterアカウント消しちゃったので、広める手段がなくなりました。
もし面白かったらシェアして頂けると嬉しいです。
【追記】
結局、更新報告用アカウントは残すことにしました。
今後も細々更新して細々広告することにいたします。
【追記ここまで】
お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。