長らく休止していたTHE YELLOW MONKEY。
ボーカルの吉井和哉がしばらく闘病を続けていて去年完治を発表したばかりだった。
そして2024年元旦に発表された、第三期イエモン一発目となる『ホテルニュートリノ』。
これがもう、あまりにも……刺さりまくってしまった。
筆者はイエモン、そして吉井和哉の大ファンである。
『ホテルニュートリノ』という曲がなぜ刺さるのか。
野暮を承知で言語化してみたい。
海というテーマ
幻のように 海沿いにある
ホテルニュートリノ
イエモンで、海。
このワードで思い出されるのは何だろう?
やはり『聖なる海とサンシャイン』だろう。
『聖なる海とサンシャイン』は、情けなさすら覚えるような執念深い男の失恋ソングだった。
あの事で頭がいっぱいな夜は
ズブロッカでは消せない
蜂の巣にされた魂の束
君にあげたいな
その情けなさの終着地点が「海」だったわけだ。
さて。
さっそく本題だが、『ホテルニュートリノ』とは何か?
これに関しては吉井和哉自身が「人間の身体」と明言している。
つまり、「海沿いにある幻のような『ホテルニュートリノ』」は、海を眺める曖昧な存在である我々自身だ、と考えるのが最も素直だろう。
ここでの「海」は『聖なる海とサンシャイン』とは逆ベクトルの存在だ。
『聖なる海とサンシャイン』は、ある種の終着点だった。
まさに執着の終着である。
だが、『ホテルニュートリノ』は違う。
水色の彼方を人はいつか目指している
「水色の彼方」を目指す人は、まだ途上にある。
「水色の彼方」とは何か?『聖なる海とサンシャイン』で言うところの「海の果ての果て」かもしれないし、また別のところかもしれない。
ただ間違いなく言えるのは『ホテルニュートリノ』では間違いなく「途上」と「ゴール」が明確に意識されている。
人生の7割は予告編で
残りの命 数えた時に本編が始まる
いつかすべてが許されるなら
煌めく太陽の下 抱き合いたいな
「途上」とは何か?
人生が続いていくことだ。
「ゴール」とは何か?
死か、あるいはその前に至るべきところなのか。
そう考えると非常に重っ苦しい曲なのだが、『聖なる海とサンシャイン』と比べると、『ホテルニュートリノ』は軽快な曲ですらある。
それは今までにあまりなかった(初めて?)なスカ調の軽快なリズムの効用が大きい。
だが、それだけではないような気がする。
なんというか、『聖なる海とサンシャイン』でフォーカスされていた感情は間違いなく「執着」だった。
だが、『ホテルニュートリノ』にはあまり過去、あるいはままならない人生への執着を感じない。
むしろ諦めだったり、無理矢理でも前を向いて生きていくこと、そんな希望の方が大きく感じられる。
『東京貧困女子』というなかなかハードなテーマのドラマとのタイアップだから、ということもあるのだろう。
そうだとしても、第三期イエモンの1発目が……こう、「希望にあふれている」わけでは決して無いのだけれど、「虚無感6, 諦め2, 希望2」のような曲であったことは、なんというか「とてもイエモンらしい」というか、……色々な感情を揺さぶってくれた。
あと、イエモンって本当に演奏が優しいよね。
もちろんイージーってわけじゃなく……
なんなんだろう。
個々の楽器がスッと入ってくるというか、「尖ってて聴きにくい」みたいなのが全くない。
この曲は他のどのアーティストでもなく、THE YELLOW MONKEYだから良い。
そう思わされる。
ちなみに
AIでタイトルを付ける機能が出てきたので使ってみた。
あまりにもそれっぽいタイトルを提案してくれたのでほぼそのまま使うことにした。
多用しよう。他力本願である。
お読み頂きありがとうございました。
ではまた。