不安は次から次へとやってくる。
そこに理屈も意味も無いと感覚的には理解していたが、はっきりとイメージになったのは最近だ。
自分という土の中に、大きな樹が生えていることを想像する。
ポジティブなイメージではなく、どちらかというと邪悪なイメージだ。
『星の王子さま』のバオバブが近い。
その樹は根を広げている。
太く深く、日に日に広がっていく。
自分という土、大地はどんどんやせ細っていく。
不安とは、その根だ。
なぜこんな例え方をするのか。
根そのものは無意味だってことに最近気がついたからだ。
なかなか説明が難しいが……
この根の存在を一度イメージしてみてほしい。
強く強く、具体的に。
その根は何もしない。
イメージに過ぎない。
細菌やウイルスのように何か毒素をバラまいているわけじゃない。
けれど、その根の厄介なところは何にでも変わり得るってところだ。
例えば新型コロナで世界中が不安に落ち込んだ。
病への不安、死への不安。
「根」はそいつらを全部受け止める。
「根」はフォトフレームのようなものだ。
ここでやっと気付いたことがある。
ここからが最も重要なことだ。
例えばコロナの不安が去ったとする。
そうしたら不安の無い人生が送れる……かというと、そんなことは全然ない。
根は、生きている限り残る。
根は次の「不安」を待ち構えている。
ずっとずっとそこに「根」はある。
「根」がある限り、一生「不安」はやってくる。
……さて。
この長い例えで伝えたかったこと。
「不安」は次から次へとやってくる。
一つ解決したらまた一つ不安になる。
僕の場合「それにしてもなんか変だな」と思うことが結構あった。
例えばある不安を解消したあと、10年前にやったことの罪悪感がずっと頭を占め始めたりすることがあった。
さすがに「これはちょっと異常だぞ」と思うようになった。
なんでそんなことになったか。
それは「根」があるからだ。
だから一つの不安を解決しても何の意味もない。
不安は代替可能で「根」がある限りいつまでも精神は苛まれる。
楽になる方法は2つ。
土を強くするか、根の存在を認めてしまうか。
それだけだ。
土を強くするのはなかなかしんどい。
だから後者の方が良い。
根はそこにあっていつまでも不安を待ち構えている。
けど、それ単体では何もできない。
しょせんそういった存在に過ぎない。
僕らは不安の実態を恐れているのではなく、不安を捕まえた「根」を見て震えているだけなのだ。
だが、「根」なんてホクロと一緒だ。
「そこにある」、それだけの話なのだ。
なくす必要はない。
あるもんは、しゃーない。
それだけの話だ。
……ここまで考えて少しだけ楽になった。
それから、何か暗い考えに頭を支配されそうになったときは「僕が見ているのは『根』だ」と考えるようにしている。
ガイコツでも妖怪でも猛獣でもなく、ただの存在しない「根」なのだ。
それだけなのだ。
結構良いライフハックだと思うのだが、どうだろうか。
あとこれって心理学や精神医学的にはもう確立された方法なのだろうか。
興味がある。
ではまた。